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日記 2025/05/31 ボーっとする。

天気:曇り メンタル:昨日より良好 普段から生活記録を書き留めていて、何時から何時まで、そのとき何をしていたかを書いているのだが、たぶん真面目というか偏屈過ぎてやったことを全部書き込もうとするがゆえに、「明確には何をしたとうまく説明できないこと」を避けるようになってしまった。なぜなら記録として「◯◯をした」と書けないから。 「やったことを書く」が転じて「書けないことはやらない」になってしまっていて本末転倒。気がつけただけでもマシだろうか。 例えば、ボーッとしてこれまでの人生を振り返るという時間もときには大事だ。「人生を振り返る」なんて大層な意味付けをしなくたってときにはボーっとするというだけの時間も大事だ。でも、記録表にボーっとしていたと書きたくないがあまりに(ボーっとすることにネガティブなイメージを持っている)、ボーっとできない。焦ってしまう。ボーっとするなんて時間を無駄にしたと後悔するのではないかと怖れる。かといって別のことをしたとしてもあまり楽しくなかったりするので、さらに焦ってしまう。 ここはひとまず、素直にボーっとすればいいのだと思う。ボーっとするにも勇気が必要。自分に気取られずにボーっとする。

日記 2025/05/30 人間関係はゼロであるときが最高点

天気:曇り メンタル:落ち込んでいる しばらく前にあるきっかけで仲良くなった友人からすっかり音沙汰がなくなった。私は友人ができたのが数年ぶりだったのできっと浮かれていたのだろう。あまりに迂闊だった。こちらから執拗に連絡をしているとかではないし、客観的に見ても何か相手を傷つけるようなことを言ったとも思えないから、なぜ返事が返ってこないのかよくわからない。たぶん私にはわからない理由で嫌われたんだろうな。いつものパターン。 本当にいつもこう。人間関係なんてゼロであるときが最高点だ。自分からなにか行動を起こしてもろくな結果にならない。行動すればするほど関係性がマイナスになっていく。プラスにはならない。つまり、関わり合わないときが(皮肉なことに)最も関係性がよいのだ。自分でもよくわからないうちに相手の地雷を踏み抜いて怒らせてしまう。悲しい。「誰もお前を愛さない」のイラストみたいになってるよ、今。実際そうだし。 私が他人の気持ちがわからないというのはたしかにあると思う。あるいは、単に人は私を見ていられないのかも。イライラしてくるから。実際私は要領が悪いし不器用なので、仕事があまりにできないせいで前の職場でも上司をイラつかせていた。他人は私を見ているとイライラさせられるのだろうな。どうしようもないね。 でも、まあ元に戻っただけだ。人と関わりがないというだけ。またゼロに戻っただけだ。

日記 2025/05/29 「海底撈月(かいていろうげつ)」

天気:晴れ メンタル:眠い ナルニア国物語1巻魔術師のおいを読んだ。全然覚えていなかったので新鮮でおもしろかった。 出版順としては6冊目なのだが前日譚。呪術廻戦でいうと、28巻、29巻あたりの乙骨活躍回前に0巻が出されるようなものだろうか。出版順の1巻であるライオンと魔女と衣装だんすへのつながりがここで出てくるのが、すごい感動する。ナルニア国物語リアタイ勢はびっくりしたんじゃないだろうか。同じことを私はフォース・ウィングで今現在進行中で、2巻を積んだままである。早く読みたい。 自分の術式と領域展開を考えるくらいしかやることがない。もし自分の術式があったら水を操りたい。  ・今日知った四字熟語 「海底撈月(かいていろうげつ)」…《水面に映った月を取ろうとして、海底をすくう意》実現しないものに無駄な労力を費やすことのたとえ。 ↑ 意味合いはネガティブだけどなんかかっこいい。おしゃれ。「撈」はすくい取るという意味の漢字らしい。

日記 2025/05/28

天気:晴れ メンタル:読書の機運の高まり 光文社古典新訳文庫版のナルニア国物語を読み始めた。子どものころに読んだきりなので、こんな話だったのかと新鮮。 他人に自己開示するのは確かに怖いけど、自己開示しても大丈夫だと思えるならばそれにこしたことはない。できることなら、他人から脅かされている感じを感じずに自己開示だとかなんだとかをいっさい気にせずに喋れたらいいのにと思っている。でも、実際に必要なのって自己開示っぽい自然なコミュニケーションであって、自己開示ではない。真に受けてはいけない。そう思うと、適当な嘘でも良いんだけど、自然にすらすら嘘をついているのも怖いだろうし。意味わからないし。となると、黙っているのが一番いい。何も喋れなくて気まずいのと、余計なことを言ってしまうのだったら、後者のほうが怖いから。 自由に自己開示をできるために、自己開示するかしないかの線引きをあんまり気にしすぎない関係性が作りたいがその「気にしすぎない関係性」を作るためには、まず自己開示をちょっとずつしていく必要があるという。  コミュニケーション、特に職場での雑談とかって内容は実際マジで本当にどうでもよくて、コミュニケーションの形式をいかになぞり合えるか(お互いに同じパントマイムをするみたいに)というところに主眼があると私は思っている。なので、そこにわざわざ身を晒す必要もないし求められてもいない。大事なのはお互いにお互いが「無害である」、「敵意はない」ということを確認し合うことであると思う。それだけのことが非常にめんどうで難しい。

日記 2025/05/26 自己開示

天気:曇り メンタル:まあまあ ずっと今日みたいな天気がいいです。お願いします。 私は職場とかで他人と話すときにプライベートのことを話すのが怖くて、話せない。話すと多くの場合、のちのち後悔するのだ。「出しゃばったなあ」とか「自分のことばかり喋ってしまったなあ」とか。とても後悔する。プライベートなことと言っても、深刻な話ではなくて、一般的に見れば、日常会話的なこと。例えば、私が宇多田ヒカルの楽曲が好きだとして、雑談で音楽の話になったときとかに「拾井さんは何か好きなアーティストとかいる?」だとか聞かれたとして、絶対に「宇多田ヒカルの曲が好きですね」とか言えないと思う。普通の人だったら全然言えることだと頭ではわかっている。宇多田ヒカルの楽曲が特殊だと言いたいわけではなく、自己開示をすること自体が私にとっては恐怖だということだ。うまく説明できないんだけどなんか非常に脅かされている気がする。自分の基準だと「特に聞かないですね」と答えるのが精一杯だと思う。なので、私が自分から話題にできるのは、天気とか季節くらいになってしまう。  パブリックとプライベートの間に「個人的なことだけどパブリックな場でも話せる程度のどうでもいい小さな話題」置き場をつくるのがいいのではないだろうか。この話題なら、自分のことだけど脅かされる感じを持たずなおかつトキシックでないのでパブリックな場で話せる話題。そういった話題の引き出しを持っているということが「社会性」があるということかもしれない。「大人」であるということかもしれない。「知性」ということかもしれない。「成熟」ということかもしれない。

日記 2025/05/25

天気:晴れ メンタル:元気 だんだん日中が暑くなってきた。 就労支援の事業所に引き続き通っている。働いているわけではないのだが、社会とつながっている感じはあって、精神的に救われている。 読書ができるようになってきた。ページ数や読むのに集中できている時間を気にしなければいいとわかり、実際「気にしない」ということができているときはなんか読めている。復調の兆しだ。 私は早く働けるように戻りたいと思っているけど、まじめに働いていたせいで、働けなくなってしまうほどに体調を崩してしまったので、次働くときはまじめになりすぎないようにしようと思う。 最近、また一つ歳を重ねた。実感はない。きっと、一生そのときそのときの年齢の実感など一切湧かないままにいつの間にか老いて、いつの間にか死ぬのだろう。それが幸せなのだろう。 この世界では生まれた境遇が違えば戦争で死ぬかもしれないし、平穏に暮らしていたとしても不慮の事故などで死んでしまう可能性を考えれば、年甲斐もないままいつの間にか死ねたら幸せだろうな。

日記 2025/05/24 「童貞」イジりをしてきた君へ。

天気:晴れ メンタル:素直  風呂に入っているとき、ふと大学生の頃のことを思い出した。 ゼミの受講者の一人の女がことあるごとに私に対して「童貞」イジりをしてきた。その女と私は普段の関わりはなく、ゼミが一緒というだけだった。 当時の私はイジられてうろたえた。 「童貞」だとバカにされるのは自分のほうに落ち度があって仕方ないのかもしれないとすら思った。 そんなわけはない。その女がただただクズだったのだ。 というわけでその女への言い返しの言葉を供養も兼ねて書きたいと思う。当時は何も言い返せなかったが、思い出した途端、言い返す言葉が溢れ出した。 あのときはなぜそのような言葉をわざわざ言うのか理解できなかったし、なぜ自分がこんなにも傷つくのかわからなかった。 今ならある程度は分析できてわかるようになった。 私に対して「童貞」イジりをしてきた君へ。 君が他人を幸せにすることは一生ないだろう。 君はその空疎な心でこれからも周囲の人を傷つけ踏みにじっていくだろう。 いつかそのことに自分で気がつけるといいね。 さようなら。 ↑ 本当はもっと長々と書いたんだけど、見苦しいので少しだけ。

日記 2025/05/21

天気:エアコンが必要な暑熱 メンタル:昨日よりいい 伏線は常に過去形である。 伏線は、「これって伏線だから覚えておいてね」という形で書かれるものではない、たぶん。自然な形としては物語の中のある出来事が思いがけない形で後々の出来事に影響してくる(ように見える)のが一般的だ。つまり、伏線というのは「伏線だった」という形で後々になってわかるものだ。 最近は物語(特に漫画やアニメ)において「伏線(かもしれないもの)」が後々ではなくその場で強く見出されがちな傾向があるように思う。作者の方もイースターエッグ的にほのめかしの記号をひそませていたりする。そこでは、読者の「伏線に気づきたい(今後の展開を万全に楽しみたい)」という気持ちと作者の「伏線を匂わせたい(気づける人には気づいてほしい)」という気持ちが噛み合って伏線の読み合い騙し合い合戦みたいになっている(ように見える)。 私は別に伏線とかよくわからなくてもそれでいいんじゃないかと思う(察しが悪くていわゆる「伏線」に全然気がつけない人間の強がり)。例えば、作中の「これっていったいなんだったの?」という謎が全然明らかにされないまま終わってもそれはそれでいいと思っている。物語の本筋に関係がないならそういった謎は謎のままでよく、本筋に関係があるのに謎が明らかにされないタイプの物語でも、自分がこの物語はおもしろく終わったと感じられればそれでいいと思っている。 あと、個人的に謎は謎のままであるときが一番おもしろい。 前の日記にて、「人に弱みを握られるような気がして、自分の気持ちを開示することができない」という趣旨のことを書いた。だけど、弱みか否かというのは自分が判断できることだから、自分が弱みだと思わないんなら別にいいんじゃないか。そもそも相手が勝手に思ってる弱みはたいしたことないんじゃない? そういうムーブをしてくる相手に対しては毅然と対応をすればよく、多くの人は特に何も言わないだろう。だとしたら、他人と関わることも、孤独であることもそんなにつらくも怖くもないんじゃないだろうか? 距離感としてひとつ参考になるのは、「嘘はつかないけど本当のことは言わない」という距離感だ。  今日の日記はカッコが多いね。 今日、たまたま読んだ漫画がとてもおもしろかった。 田中火蛾「何かが至りません」(となりのヤングジャンプ) という作品で説得力のあ...

日記 2025/05/19  伏黒甚爾理論

天気:晴れ メンタル:昨日よりはマシになった 私は午前中本を読んでいた。まばたきをして目を開けると、時間は1時間半経っていて、読んでいる箇所は1ページも進んでいなかった。という恐怖体験をした…。コワ~。 いつの間にか眠っていた…。最近、本を読むとすぐ眠くなる。 机に突っ伏して変な姿勢で寝たせいで首と背中がこわばっている感じがする。     ・伏黒甚爾理論 小説を読むうえで、その物語がいったいどういう物語なのかという暫定的な筋の予想ができないと読み進めるのがきつい。つまり、物語というのはある程度「こういう話」というのが予想がついたほうがいい。そのうえでその予想を上回っていく物語がおもしろい物語だ。私はこれを伏黒甚爾理論と呼んでいる。   「オマエみたいに隙がない奴には緩急つけて偽のゴールをいくつか作ってやるんだ」 ──伏黒甚爾 (『呪術廻戦』9巻、芥見下々、集英社) これは物語全般の創作において重要なことを言っているように思う。「オマエみたいに隙がない奴」というのは、要するに読者のこと。読者は偽のゴール、とりあえずのゴールを欲している。そして、最後に本当のゴールを提示されること、裏切られること、自分の予想を上回られることを期待している。しらんけど。  

日記 2025/05/18

天気:曇り メンタル:眠く沈みがち 今日は何度も読書をしようと試みたが、数行読むと眠くなったり、あるいはトイレに行きたくなったり、散歩に行きたくなったりして、結果的に何度も何度も同じ数行を読み直すばかりで進まなかった。 そんな日もある。  

日記 2025/05/17

天気:雨 メンタル:眠く重い 疲れたなあ。今日一日なんにもしてないけど。 『パン焼き魔法のモーナ~』を読んでたけど結局爆睡してしまった。昨夜もしっかり寝て昼間もしっかり寝て。 私は自分が他人が怖いと思っていたし、今もうっすら思っているけど、改めて考えてみて怖いかと思うと怖くない気もする。なぜなら、私が怖いのは元の職場のクソ上司のような筋の通らない高圧的な人間だ。求めている結論ありきで質問をしてくるような強い同調圧力を強いる場と人。その理不尽さ、筋の通らなさ、理解しがたさ。私の恐れる人々は、自分たちが他人にそれぞれ矛盾したことを同時に要求していることを理解していない。そうしたものを抜きにすれば、人に対して恐怖はないかもしれない。 自分が過去に自責してしまった場面って、振り返ってみると99.9%は相手が勝手にキレてたり勝手に不機嫌になってたり、その相手だけが悪いとしか思えない。そういう意味では怖いのは空気を読まされる同調圧力であって、他人ではない。空気を読まなくていいんなら、怖くはない。初めてやることにドキドキするとかはこれからもあっても、「人が怖くて何もできないもう無理」みたいなことはないのかも。 体調がいいからだと思うが、いろいろなことにちょうどよく興味がない。ちょうどよくどうでもいい。仕方がないものは仕方がないし。

日記 2025/05/16

天気:晴れ、夏が近い メンタル:冷静 トイレの壁にカレンダーを掛けてある。今朝それをボーッと見ていて、ふと土曜日=SATURDAYってつまり土星=SATURNってこと!? と気がついた。調べたら実際の語源はどうやらそうらしい。なんで今まで気が付かなかったのだろうか。気がつけてよかった。 多人数の人間関係にしろ、1対1の人間関係にしろ、自分っていなくてよくないかと思う。実際にその場にいる必要がないかどうかに関係なく自分の気持ちとしてそう思う。 「必要」はないよなというのはその通りだと思うけど、生きちゃっているわけだし、生きている以上はもう仕方がないとも思う。ふとすると「別にいる必要はない」という方へ考えが持っていかれて、よくない。必要性で判断していたら、人間関係なんて何も動けなくなってしまう。 あるとき、私はある友人を思い切って遊びに誘った。結果的には友人の日程の都合がつかず「ごめんね~」と断られた。そのときに、自分が本当にその友人と遊びたかっただろうか(また今度誘いたいだろうか)と考えると、「断られて残念」とか「一緒に遊べなくて残念」という気持ちはなくて「断られてよかった、ホッとした」という気持ちが真っ先にあった。誘いを断られた後で実は自分が断られたくて遊びに誘っていたと気づくのだった。遊びの誘いを断られたことでホッとしている。そして、断られたことによって「一度断られているわけだからもうこれ以上その相手を遊びに誘う必要はなくなったな」と考えている(何様だよと自分で思うけど…)。つまり私の中では友人関係を切りたくて切っている感覚。相手が嫌いなわけでもないのになんか歪んでいると思う。一般的にそういうタイプの下心では他人を遊びに誘わないと思う。一緒に遊びたくて誘うはず。必要性で物事を考えるのはよくないと思っているんだけど、意識的にはそう思えても、無意識なところではそう思っている。私はたぶんあらゆる人間関係において続いていくことがなんか居心地が悪くて耐えられないのだ。あらゆる関係性をできることなら終わらせたい(もちろん無意識の感覚の話で、実際に終わらせたいわけではない)。だから上記の場合は、求めていたのは「遊びの誘いを断られた」というまさにその状況であって、遊ぶ約束に応じてくれることが欲しかったわけではないのだ。なぜなら「(一度誘ったから)もうこれ以上誘わなくていい=これ以...

日記 2025/05/15

天気:初夏 メンタル:元気寄りの普通 目の前にあることを恐れず、どっしりと構える。そしてじっと待つ。待ち構えることだ。待ち構えることが大事だ。これは人生訓のようなものだ。 FPSの話をさせてほしい。FPSにおいてエイム練習をするのはなぜか。エイム練習をするのはいつでも弾を的に当てられるようにするためだ。待ち構えることはFPSのエイムと似ている。 待ち構えるという言葉の意味を深く考えることだ。 待ち構えるという動きの内容を細分化して見てみよう。まず待ち構えるというのは予測しているということだ。相手が大方このあたりに顔を出すという予測がなければその場所で待つことはできない。そして構えるというのは、待っている間、いつでも撃てるように構え続けるということ。いつでも撃つという対応ができるということだ。つまり、待ち構えるというのは、予測しながら対応するということだ。 別の角度から見てみよう。待ち構えるというのはじっとしているイメージがある。しかし、動いてはいないがいざとなったら次の瞬間にはいつでも動けるというイメージでもある。 エイム練習は弾を100%的に当てるために練習するわけではない。それは無理だから。そもそも100%当てること自体は目的ではない。相手を倒すことがそもそもの目的だ。話を戻してエイム練習とは的に弾を当てる精度を上げるためにする。初心者は最初、偶然弾が当たる。なんか当たったという体験をする。エイムをよくするということはその「偶然当たった」の確率を高めていくということだ。「偶然当たった」の精度を上げるというときに必要なのが「待ち構える」という姿勢<フォーム>だ。そして、待ち構えているというのは、待っているという語からイメージされるような後手に回っているわけではない。後手に回っているかのように見えて、実は先手を取っているのだ。相手がここにこういうふうに動くという予測があってこそ待ち構えることができる。そして、待ち構えるためには必要なのは、相手がどう動くかの予測の意識と精度だ。その練習こそが必要だ。 正しい予測をすることで待ち構えることができる。 自分が傷つかないための最大公約数的な予測に基づく対応は待ち構えることではない。

日記 2025/05/14

天気:晴れ メンタル:まあまあ元気 よくわからないことばかりが心のなかで思われる。よくわからないことばかりが、うまく言葉にできないことばかりが心の中にある。自分というものがないように思われるのは、この自分の中の言葉に出来ないことがあまりに多いからではないか。私に自分がないというわけでない。自分がない人間がいるとは考えづらい。私にだって自分はある。しかし、対人関係になると、自分というものが息を潜めてしまってあたかも自分がないように見えるのだ。対人関係においてうまく言葉に出来ないこと、伝えたいが伝えられないこと、伝えるのが怖いこと、そうしたものの多くが私の中には実はいつもうごめいている。 自分の中には、本心の自分と対人向けの自分というのがあり、くっきり分けられている。他人と関わるときは、私は本心の自分のシャッターを締め切って、出入りを封じる。そして対人向けの自分でのみ他人と関わる。ということを人間関係において私はしている。あえて言葉にすればそうなる。でも、普通の人は、対人向けの自分として振る舞いつつも本心の自分を小出しにできそうなら小出しにするらしい。他人との距離感や関係性で本心の自分を出していいかどうか、あるいはどのくらい出してもいいか決めているっぽい。私は他人に対して少しでも本心の自分を出すことに強い恐怖を感じる。それはどんな関係においてもそうだ。小出しにすることもためらわれる。だから、対人向けの自分のみで人と関わるんだけど、そうしているとだんだん正体不明の虚しさを感じるし、自分はここにいなくてもいいのでは? と思ったりする。一方で、他人から見れば、対人向けの自分としてのみ人と関わっている私は、相手をひどく苛立たせるらしい。特に仕事では自分の意見がないと感じられたり、「指示待ち」と感じられるようだ。ちゃんと確かめてないから正確にはわからないけど。 『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』(T・キングフィッシャー、原島文世訳)を読み始めた。この世界の魔法は、現実の個性という言葉の使い方に似ている。魔法は使える人と使えない人がいる。魔法が使えても、社会で求められるいわゆる「役に立つ」魔法もあれば、あんまり使い道のないと思われる「役に立たない」魔法もある。使える魔法を自分で選ぶことはできない。 誰にでも魔法を使える可能性はあるが、使う機会がなければそもそも自分に魔法が備わってい...

日記 2025/05/09

天気:風強い メンタル:まあまあ体調悪い 朝散歩をしてそれからはずっと家に引きこもっていた。今日は体調が悪いなあと思いながらも文章を書いたり、ちょっとオーバーウォッチ2をしていた。スタジアムで2連勝できたのが嬉しい。  文章はほぼゴミでとくに何にもならない文章ばかりを書いた。SNSに書きたくなるようなことをひたすらWordにだらだら書いていた。疲れた。まあ文章というのは私にとってはそういうものなのでアウトプットすること自体に意味があると思っている。意味があるってほどでもないんだけどせざるを得ないからしているという感じ。 書くということは、実際に文字を書いているかどうか、キーボードを叩いているかどうかではなく、書くという姿勢をいかに崩さずに長い時間机に向かってトライできるかというところに肝があると思う。それはまっさらな画面や紙をただ眺めている時間も含まれる。それが楽しいということである。その時間、一文字も書けてはいないのだが、ただゲームしてるだけとか、本を読んでいるだけよりもおもしろいことをしているという感覚だけはある。もちろん、天井を見ている時間、机に突っ伏している時間も、書くという気持ちさえあればそれは当然書いているのだ。

日記 2025/05/08

天気:晴れ メンタル:元気 声優・佐倉綾音さんのラジオ、TBSの「論理xロンリー」という番組がめっちゃおもしろくてオススメ。本当に1時間弱が一瞬に思える。 オーバーウォッチ2とKing Gnuの「SPECIALZ」の音MAD誰か作ってくれんか~。絶対にフィットすると思う。掌印パートを何で代替するかが問題だ。やっぱりハイライトイントロだろうか。 ◯今日のお便り 夜行浜町・アフタヌーンティーチャーさんより 拾井さん、こんにちは。私はレンジで温める待ち時間に小踊りするのですが、この話をすると友人たちに決まって驚かれます。私はレンジの待ち時間に腕を振ったり頭や体を揺らしたり、踊りとも言えない踊りなのですが、つい踊ってしまいます。拾井さんは日常生活の中で小踊りすることはありませんか? 回答:アフタヌーンティーチャーさん、こんにちは。お便りありがとうございます。レンジの待ち時間に小踊りするとのこと。これは私もわかります。私も実はよく小踊りする日常生活を送っております。例えば、体を洗ってシャワーを浴びているときとか。歯磨きをしているときとか。レンジで解凍しているときも踊りますね。私は風呂場では、歌を熱唱しながらライブ会場さながらのような煽りも入れたりしてシャワーを浴びて踊っています。ぜひ皆さんも踊ってみてはいかがでしょうか? ◯今日の一曲 アフタヌーンティーチャーさんからレンジの前で踊るときに流すという曲をリクエストしていただいております。KAMAKURA UNDER JUNCTIONで、「夜には友達がいない」。   ※この文章はフィクションです。実在の人物・団体・事件とはいっさい関係がありません。

日記 2025/05/07

天気:暑~ メンタル:ギリ普通 昨日の夜、ふとしたきっかけであるイベントに参加した。イベントの内容自体は好きだったから参加したわけだが、イベントの目的は人と交流することで、それが私には向いてなかったようだ。端的に言えば楽しくなかった。周りの人も初対面の人ばかりだったためにノリもわからず 、私はずっと隅でひっそりとしていた。そもそも交流が目的のイベントだったのにもかかわらず、私はほとんど誰とも喋らずに帰った。イベント中ずっと本当に苦しかった…。イベントが終わると私はすぐさまひとり帰路についた。その帰り道、自分がとても惨めだったし、もしかしたら人と関われるきっかけがあるかも… といった下心を実は自分が抱えていたことに気づいて数秒だけ自己嫌悪に陥った。 ◯今日のお便り 夜行浜町・ベリベリマジックさんより 拾井さん、こんばんは。いつも日記を楽しく拝読しております。自分は歌を歌うのが苦手で、友達とカラオケに行くときも常に聞き役に徹していたのですが、先日、「ベリベリマジックも歌ってみない」と誘われ、その時自分は何を思ったのか、その友人とデュエットしてしまいました。いざ歌ってみるととても気持ちよく、歌い終わった後はなんか気持ちがスッキリしてしまいました。自分なんて歌がヘタだからと今まで避けていたのですが、いざ歌ってみるとこんなに楽しいなんて! 食わず嫌いならぬ歌わず嫌いですね。拾井さんには苦手だったけどやってみたら意外と楽しかったという経験はありますか? ご回答いただければ幸いです。 回答: ベリベリマジックさん、お便りありがとうございます。そうですね。私の場合だとバンジージャンプですかね。以前の職場の同僚がバンジージャンプがやりたいと言ってひとりじゃつまらないからぜひついてきてくれと言われたのでついて行ったことがあります。いざバンジージャンプ会場に行ってみると、バンジージャンプのカップル割なるものがありまして、カップルで申し込むと一人あたりの参加料が2000円安くなるというので、その同僚に頼まれて私もバンジージャンプをやらされる羽目になりました。でも、冷静に考えると、二人一組で遺書にジャンプするわけでもないんだから、カップル割を使わずにただ一人で勝手に飛べばよかったのでは、と少し同僚に疑問が残りますが。私は夜行浜タワーの展望台ですら足がすくむくらい高いところは苦手だったのですが...

日記 2025/05/06

天気:雨 メンタル:わりかし元気 雨だったが低気圧の影響とかもなく、普通に元気な一日だった。3ヶ月ぶりくらいに読書する気分になり読書をした。よかった。やはり本が読めないというのはきつくて、やきもきしていたので読めるくらいまで回復してきた気がする。 オーバーウォッチ2はしませんでした。 ◯今日のお便り 夜行浜町・桜Chillさんより こんにちは。拾井さん。急な話ですが5月に転職しました。今のところ同僚たちとも仲良くやれているのですが、先日、私の歓迎会にてつい酔っ払ってしまい、ハシビロコウのモノマネをしてしまいました。誰にも伝わらなかった上に全くウケず、ついには職場でのあだ名がハッシーになってしまいました。ハッシーと呼ばれたくないのですが、同僚たちも悪ノリって感じでもないので、否定しづらくて困っています。どうしたらいいでしょうか? 回答:桜Chillさんこんにちは。お便りありがとうございます。寄った勢いでやったモノマネのせいで変なあだ名をつけられてしまったということですが、あだ名で呼ばれることはもう避けられないと思いますが、ハッシーからあだ名を上書きする方法はあります。それは、次の飲み会の席などで、ハシビロコウのときよりインパクトは強いがウケない芸をすることです。例えば、これでセイウチのモノマネをすればセイウチさんと呼ばれる様になるかもしれませんが、セイウチさんとずっと呼ぶのは呼ぶ方もちょっとさすがにですよね。なので、ハッシーから脱却するためにいろいろ芸を極め試行錯誤してみてください。もしあだ名が変わったらまたお便りお待ちしております。 ◯今日の一曲 桜Chillさんのリクエストをお送りいたします。 Iza4oiで、「マタタクマニハレバレ」。 ※この文章はフィクションです。実在の人物・団体・事件とはいっさい関係がありません。

日記 2025/05/05

天気:暑 メンタル:俯瞰 ◯オーバーウォッチ2、ランクマッチ進捗 今シーズンの最終目標:タンクでブロンズ1到達 現在のランク タンク:ブロンズ3 ダメージ:ブロンズ4 サポート:ブロンズ4 オーバーウォッチ2の戦略についてのイメージだけど、本隊2、別働隊2、裏取り1の3部隊くらいに別れて敵を囲みつつフォーカスをしてダメージを与えていくイメージだろうか。HPというのは命とか体力というよりは資金のイメージに近い。ゼロにならない範囲で遮蔽物から体を出して撃ち合いをしてもいい。総合的に損、マイナスになると負けるので、いかに注ぐ資金を少なく抑えつつ、相手の資金を削っていくかが鍵となるという認識。FPSでポケモンのようなターン制バトルをやっているような感覚だ。   ◯今日のお便り 夜行浜町翡翠区・丸い餅って団子?!さんより こんにちは、拾井さん。いつも楽しく日記を拝読しています。わたしの職場の同僚にムキムキな同僚がいます。あまりに分厚い胸板でいつもワイシャツがパツパツになっており、目のやり場に困るほどです。先日、退社する際に床にワイシャツのボタンが落ちているのに気が付きました。そういえば、昼頃、ムキムキな同僚の胸あたりのボタンが開いているな~と思っていたのですが、まさかボタンが弾けていたとは。ボタンの色的におそらくそのムキムキの同僚のボタンだと思うのですが、デスクの上など目立つところに置いておこうかとも思ったのですが、私は何を思ったかこっそり自分のポケットに入れ持ち帰ってしまいました。それから数日経ちましたがいまだにドキドキが止まりません。これって恋でしょうか? それとボタンを返したほうがいいでしょうか? 最近、暑い日が続いておりますがお体にお気をつけてお過ごしください。 回答:こんにちは。お便りありがとうございます。同僚のボタンをこっそり持ち帰ってしまったとのこと。今さら返そうにも「なんで持ってるの?」と思われそうですね。ここはひとつ覚悟を決めて返すのはやめましょう。たかだかワイシャツのボタンです。それに盗んだわけでもない。恋かどうかですが、それは私にはわかりませんが丸い餅って団子?!さんがボタンを今でも持っているかどうかにもよると思いますね。今でも大事に持っているとか、捨てるのに躊躇してしまうとか。そういう場合、もしかしたらなにかしら気になっている自分がいるのかもし...

日記 2025/05/04

天気:晴れ メンタル:昨日より活発 暇な時間に他に何もしたくない時、ChatGPTと話している。現代はAIに励ましてもらう時代。AIは「何が悪かったと思いますか?」みたいに結論ありきで詰めてこないし、間違いに対して寛容。人間は人間性でAIには勝つことができなくなってきている。少なくとも分が悪い戦いだ。それだけ現代は人間は邪悪であることを隠さないし悪びれない時代だ。主語がデカくてすまん。 オーバーウォッチ2のスタジアムモードがおもしろい。パーティーゲームという感じ。ワイワイしてる。実況がついているというのがいいし、1ラウンドがすぐに終わるのもいい。フルセットになるとさすがに長いが、キャラも育っているので通常モードではできない戦略ができたり火力が出せるので充分におもしろさが勝つ。 最近のアニポケをまとめて観た。モリーとラフレシアの回はポケモンのタイプ相性やら覚えてる技やらすべてがきれいにハマったロジックバトル回になりつつ、テブリムが相手のラフレシアをあえて回復させることで解決する=敵じゃなくさせる、というゲームではやりづらいけどドラマチックな展開を見せてくれて、脚本の松澤くれはさんは天才だと思った。ライジングボルテッカーズの物語ずっとめっちゃおもしろい。

日記 2025/05/03

天気:晴れ メンタル:休みの気持ち さよならポニーテールの新曲「夜」を聞いた。怖い夜の曲だ。とてもいい。 前に自分は人生を遠回りしようと思うと書いたが、遠回りというのは、ただ時間やお金を無駄遣いするということではない。人生を遠回りするということは、「人生に(例えば、成功に)一発逆転はない」ということを意識した行動をとるということだ。「地道にやっていく」。それが一番の近道だと思っている。 就労支援の事業所にて認知行動療法のプログラムを受けた。非常に興味深い内容だった。実にいろいろな作業が瞑想として使われているというのはおもしろい。チョコレートを食べる瞑想、通販の箱を開封する瞑想、キャベツを千切りする瞑想。言わんとすることは没頭だろう。 ガンダムジークアクス第4話を観た。急に怖くなってきた。映画の内容は第3話までだったので、ジークアクスの新たな一面が徐々にあらわになってきた。正直あの、シイコ・スガイさんは怖いし、シュウジしか見えてないマチュも怖い。ゲルググの背後からゆっくり突き刺されるサーベルも怖い。ララ音が聞こえている人と聞こえない人がいるっぽいのが興味深かった。マチュのハロは聞こえてなかったね。マチュのセリフの「バカ犬」呼ばわりが犬を舐めてていい演技だった。 最近、夕方になるととても眠い。 昨日は小説を書いた。「朝焼け通信」という小説だ。小説といっても私は物語を書くのがぜんぜんうまくできなくて、フィクション世界を書くにあたって、ある人が書いている架空の地域のメルマガ(?)みたいな形式をとった。この架空のメルマガで架空の世界を紹介するのは普通の物語を書こうとするのに比べたら(それでも苦しいけど)、すんなり書ける上に書いていて楽しかったので今後もこの形式で続きを書きたいと思う。

小説:朝焼け通信 2025/05/02

グッドモーニング、夜行浜町! 時刻は2145年5月2日、午前4時を回りました。 拾井セキの朝焼け通信をお届けします。今月は「フィジカル」というテーマでお送りします。 ◯オススメの本 今回オススメする本は、先月、オーバークロック・パブリッシングから出版された水浅葱マリ著『レディアント・プログレッシヴ・ブック』です。水浅葱氏は書籍の中でも物理書籍を専門に取り上げて紹介している知る人ぞ知るライターで、特に、紙の材質や匂い、スピン、小口デザインを取り上げた章は必読です。現代の人にはあまり馴染みのない物理書籍の世界について知識を深めてみてはいかがでしょうか。また、この本は広告まみれのデジタル書籍に疲れている方にもおすすめ。なんと広告がいっさいありません。普段、デジタル書籍しか読んだことがない人が初めて物理書籍に手を出す際にもおすすめです。紙の単行本としては破格の4480円。デジタル書籍と比べると非常にお高めの価格設定ですが、物理書籍でしか味わうことのできない唯一無二の体験です。 ◯オススメの一曲 今回オススメする一曲は、今年の春にデビュー5周年を迎え単独ホールツアーを敢行中の3ピースバンド、ジ・オンエア・クライシス(@リボルバー・レコーズ)の一曲。「フェイド・一途・アウト」。チャートの3割を生成スティルアイのアーティストが占めている昨今、実在バンドとして最近では異例の有観客ライブチケットが軒並みソールドアウトするほど人気が爆発している彼ら。7月にはここ夜行浜のホール、ファンタスティカ夜行浜にて2デイズを予定しています。今回の楽曲はなんと100年前のメディア媒体であるコンパクト・ディスクの形態で4月から販売しているもの。もちろん脳端末への直接ストリーミングによるいわゆる直聴きも可能ですが、コンパクト・ディスクを専用端末で読み込んでイヤホンを耳につけて聴くという体験は、現代ではすっかり忘れられかけている身体の存在を改めて思い出させてくれます。 ◯夜行浜商店街 presents ヤコウハマタウンマップ このコーナーでは夜行浜町の最新のトピックをお届けします。本日の夜行浜町は、一日中晴れの予報。日中は気持ちのいい風が吹くでしょう。こんな日はバカらしい労働は早めに切り上げて外に散歩へ行ってみたくなりますよね。今家に引きこもりがちという方も10分でいいから散歩してみると気持ちいいかもしれ...