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日記 2025/07/31

天気:晴れ メンタル:疲労を回復させることに努めたい気持ち こんにちは。『四季』プロデューサーの拾井です。 みなさん7月は楽しんでいただけたでしょうか? 7月は四季の一つである「夏」に注目して、夏ならではの遊びをお楽しみいただけるよう開発いたしました。6月の「夏」のアーリーアクセスで皆様からいただいたフィードバックを踏まえつつ好評をいただいた点を強化してリリースいたしました。この度はありがたいことに全世界での「夏」のプレイ人口が100%を達成いたしました。まことにありがとうございます。 8月のアップデートでは、「パニッシュメント・アップデート」と題して、この「夏」をさらにお楽しみいただけるようにより楽しくよりハードなアップデートを行います。詳しくは以下をご覧ください。 ・平均気温、及び湿度のさらなる上昇。 …平均気温、湿度をさらに上昇させることで、衣服、装備、スタミナ管理などの戦略性が増します。水分補給や、食事の栄養バランスの管理がさらに重要になります。 今後とも、人生専用ソフト『四季』をお楽しみいただけるよう開発チーム一丸となって頑張ってまいります。また、今後のさらなるアップデートもお楽しみに。続報をお待ちください。

日記 2025/07/02 ただいま

天気:晴れ メンタル:元気になってきた 最近、お風呂に入るのがめんどうじゃなくなってきたと思った。私は働き始めてからずっと、お風呂に入ることがつねづね億劫に感じていた。もちろん毎日入ってはいた。でも、本当にただただめんどうで、お風呂が心に重くのしかかる日々の習慣に成り下がってしまっていた。働く前は「お風呂好き」だったのにもかかわらず。 それが、ようやくお風呂への苦手意識、めんどう意識がなくなってきた。今思えば、退職して1年弱経つのだ。私はつらい職場を離れてお風呂に負荷を感じずに入れるようになるまでに回復するのに1年かかった。長かった。ようやくここまで戻ってこられた。

日記 2025/06/25 大雑把にやってみよう。

天気:雨 メンタル:立ち直りかけ ジークアクス最終話を観た。個人的にはよかった。 選択のメカニズムについて考えてみたい。今日は予定が何もなくて暇なのだが、こうして文章を書くことを除いて他のことにあまり手が付けられていない。私の中の「完璧主義」が悪さをしていて、「やるからにはちゃんとやり遂げたい」という意識がうっすらあり、なにかにつけて「完璧」にはできない理由を見出してしまうから行動を選択できないのだと思う。 例えば「楽しまなければならない」という表現は矛盾しているよね。「楽しむ」というのは自発的なものだが、「~しなければならない」というのは自発とは反対のものだ。自発的な行動を自らに強いるというのはいささか奇妙な言い方だが、「せっかくだから楽しまなきゃ」という気持ちはわりあい自然なものだ。そういうシチュエーションはけっこうあると思う。 「やるからには楽しまなくては…」という思考を下支えしているのは「完璧主義」だ。 でも「完璧主義」とは言っても、どこまでも完璧主義なわけではない。ここまで辿り着いたら良しとする自分の中の基準がある。 つまり自分が良しとする見えないボーダーが存在することを認める必要がある。 そして、そのボーダーから意図的に逸脱してみる。 あえて、手を抜く。誤解を怖れずに言えば、雑にやる。大雑把にやってみよう。重要なのは、大雑把にやったらそのままにするということだ。この大雑把にしたままでいるというのは意外と耐えるのがきつそうだと思う。何かしら調整の手を加えたくなってしまうと思う。 今後の目標は、「大雑把にやる」。

日記 2025/06/24

天気:曇り メンタル:やや下降 寝ても寝ても眠い状態。あと、首と肩がこっている。体調が全体的に悪い。ぐったりしている。ちょっとジメッとしているせいかもしれない。エアコンをつけると寒いが、つけないとジメッとしているので、調節が難しい。

日記 2025/06/11

天気:曇り メンタル:微妙(昨日よりはいいけど) 『ジークアクス』10話でマチュ、ニャアンがそれぞれ拳銃を手に入れていますが、それぞれに成長、変化がある(特にマチュはアンキーに一度発砲している)ので、チェーホフの銃的な状況だけど特にマチュは「撃たない」という選択に「撃つ」以上の意味があると思う。マチュ(不殺)とニャアン(殺)で対比だし。しかしシュウジがノイズです。わかりません。この文章はチェーホフの銃が書きたかっただけです。賢しら。   雑談もow2と同じで、リソース(自己開示)を一気に吐いてしまうと、逃げるアビリティや耐えるアビリティがなくなったり、こちらが吐いた分だけ相手も一気に吐かざるをえなくなるので、お互いに苦しくなる。ow2の目的が相手をキルすること(本当は違うけど便宜上)だとしたら、雑談の目的は相手との関係の維持、持続である。 ow2では、相手をキルする上でリソースを吐かざるをえないのだが、なるべく最小限にとどめたい。長引くようならば、潔く逃げる必要がある。そうしなければこちらがキルされる。 雑談では、関係を持続させる上でリソース(この場合は自己開示とか話題を振るとか相槌とか返事を返すということ)を吐かざるをえないのだが、なるべく最小限にとどめたい。相手の下限に合わせるのも大事かもしれない。 お互いにどちらかでもリソースを吐きすぎると関係の持続がきつくなる。なぜなら片方がリソースを一気に吐いてしまうと相手も合わせて一気に吐かざるをえなくなってしまうからだ。実際にリソース吐き合戦に応じるかは別にしても、応答の圧力は働くだろう。一般的にはそういう圧力をかける人(自己開示しすぎる人)は周囲から煙たがられるだろうと思う。 雑談においてリソースを一気に吐くことは相手に心理的負担を負わせることになる。そもそも雑談は、それ自体が心理的負担だ。なので、お互いに心理的負担を最小限にしつつ関係を維持させていきたい。要は、雑談もow2と同じでリソースを小出しにするほうが強い。使いたいときに常にリソースがある状態が保てると気楽。不要なところで無駄にリソースを吐いてしまって本当に使いたいときにリソースがないのはきつい。相手がリソースを吐いたらカウンターするというのも同じ、先仕掛けが強いのも同じ、リソースを一気にすべて吐いてしまうと負けてしまいやすくなるのも同じ(雑談で...

日記 2025/06/07

天気:晴れ メンタル:普通 今日は1月末くらいからちまちまと読んでいた『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』を読み終えた。とてもいい読書体験だった。独特な視点の感動する話だった。子どもの主人公が活躍する楽しさ、爽快さはあるけど、それはそれとして子どもが活躍せざるをえないのは大人たちが不甲斐ないよねという視点が書かれていて、そこに言及されているのは私が読んできたファンタジーでは珍しい気がした。この著者は律儀で真摯で素晴らしいと思った。とてもかっこいい。こうした視点は重要だ。

日記 2025/06/06 他責もしよう。

天気:晴れ メンタル:冷静 私はもともと、なんでもかんでも自責の対象にしてしまうタイプだった。もっと正しく他責もするべきだ。他責もできないと問題にぶつかったときにその問題の構成要素を見誤る。自責の念が強いと「ぜんぶ自分がわるいんだ」と偏った思考をしてしまう。それではなにも解決しない。正しくは他責もするべき。例えば、職場でよくわからないけど上司がイラついているとする。前の私だったら、「きっと私が無能だからだ」と考えた。でも、実際のところ、他人がイラついている理由なんて多種多様だし、その人がその人固有の原因でイライラしているのかもしれない。だとしたら、それはもうアンコントローラブルなもので、私がいくら期待に応えようと仕事を頑張っても、関係がない蓋然性のほうが高い。なので、あるかもわからない理由を考えるのではなく、考えないのがよい。気にしないのがよい。 就労支援は、人生の楽しい廻り道だと捉えている。わりに楽しい。前は働くことに焦ってばかりだったが、遠回りも悪くないのかもしれないと最近思うようになった。  

日記 2025/06/03

天気:雨 メンタル:開き直り 「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」(森山大道) ↑ 私の好きなアーティスト「さよならポニーテール」の楽曲はまさにこれを体現していると思う。 「自分がなぜ自己開示できないのか、したくないのか」について一日考えていたら疲れてしまった。できるかどうかは相手に依るとしか今は言えない。あとはその場のドライブ感でアドリブをするという心構えのほうが気楽だ。

日記 2025/06/02

天気:曇り メンタル:まあまあ 日記をいくらか書いたところで、なんかしょうもないなと思って全部やめた。 小説を書きます。 さようなら。 

日記 2025/05/31 ボーっとする。

天気:曇り メンタル:昨日より良好 普段から生活記録を書き留めていて、何時から何時まで、そのとき何をしていたかを書いているのだが、たぶん真面目というか偏屈過ぎてやったことを全部書き込もうとするがゆえに、「明確には何をしたとうまく説明できないこと」を避けるようになってしまった。なぜなら記録として「◯◯をした」と書けないから。 「やったことを書く」が転じて「書けないことはやらない」になってしまっていて本末転倒。気がつけただけでもマシだろうか。 例えば、ボーッとしてこれまでの人生を振り返るという時間もときには大事だ。「人生を振り返る」なんて大層な意味付けをしなくたってときにはボーっとするというだけの時間も大事だ。でも、記録表にボーっとしていたと書きたくないがあまりに(ボーっとすることにネガティブなイメージを持っている)、ボーっとできない。焦ってしまう。ボーっとするなんて時間を無駄にしたと後悔するのではないかと怖れる。かといって別のことをしたとしてもあまり楽しくなかったりするので、さらに焦ってしまう。 ここはひとまず、素直にボーっとすればいいのだと思う。ボーっとするにも勇気が必要。自分に気取られずにボーっとする。

日記 2025/05/30 人間関係はゼロであるときが最高点

天気:曇り メンタル:落ち込んでいる しばらく前にあるきっかけで仲良くなった友人からすっかり音沙汰がなくなった。私は友人ができたのが数年ぶりだったのできっと浮かれていたのだろう。あまりに迂闊だった。こちらから執拗に連絡をしているとかではないし、客観的に見ても何か相手を傷つけるようなことを言ったとも思えないから、なぜ返事が返ってこないのかよくわからない。たぶん私にはわからない理由で嫌われたんだろうな。いつものパターン。 本当にいつもこう。人間関係なんてゼロであるときが最高点だ。自分からなにか行動を起こしてもろくな結果にならない。行動すればするほど関係性がマイナスになっていく。プラスにはならない。つまり、関わり合わないときが(皮肉なことに)最も関係性がよいのだ。自分でもよくわからないうちに相手の地雷を踏み抜いて怒らせてしまう。悲しい。「誰もお前を愛さない」のイラストみたいになってるよ、今。実際そうだし。 私が他人の気持ちがわからないというのはたしかにあると思う。あるいは、単に人は私を見ていられないのかも。イライラしてくるから。実際私は要領が悪いし不器用なので、仕事があまりにできないせいで前の職場でも上司をイラつかせていた。他人は私を見ているとイライラさせられるのだろうな。どうしようもないね。 でも、まあ元に戻っただけだ。人と関わりがないというだけ。またゼロに戻っただけだ。

日記 2025/05/29 「海底撈月(かいていろうげつ)」

天気:晴れ メンタル:眠い ナルニア国物語1巻魔術師のおいを読んだ。全然覚えていなかったので新鮮でおもしろかった。 出版順としては6冊目なのだが前日譚。呪術廻戦でいうと、28巻、29巻あたりの乙骨活躍回前に0巻が出されるようなものだろうか。出版順の1巻であるライオンと魔女と衣装だんすへのつながりがここで出てくるのが、すごい感動する。ナルニア国物語リアタイ勢はびっくりしたんじゃないだろうか。同じことを私はフォース・ウィングで今現在進行中で、2巻を積んだままである。早く読みたい。 自分の術式と領域展開を考えるくらいしかやることがない。もし自分の術式があったら水を操りたい。  ・今日知った四字熟語 「海底撈月(かいていろうげつ)」…《水面に映った月を取ろうとして、海底をすくう意》実現しないものに無駄な労力を費やすことのたとえ。 ↑ 意味合いはネガティブだけどなんかかっこいい。おしゃれ。「撈」はすくい取るという意味の漢字らしい。

日記 2025/05/28

天気:晴れ メンタル:読書の機運の高まり 光文社古典新訳文庫版のナルニア国物語を読み始めた。子どものころに読んだきりなので、こんな話だったのかと新鮮。 他人に自己開示するのは確かに怖いけど、自己開示しても大丈夫だと思えるならばそれにこしたことはない。できることなら、他人から脅かされている感じを感じずに自己開示だとかなんだとかをいっさい気にせずに喋れたらいいのにと思っている。でも、実際に必要なのって自己開示っぽい自然なコミュニケーションであって、自己開示ではない。真に受けてはいけない。そう思うと、適当な嘘でも良いんだけど、自然にすらすら嘘をついているのも怖いだろうし。意味わからないし。となると、黙っているのが一番いい。何も喋れなくて気まずいのと、余計なことを言ってしまうのだったら、後者のほうが怖いから。 自由に自己開示をできるために、自己開示するかしないかの線引きをあんまり気にしすぎない関係性が作りたいがその「気にしすぎない関係性」を作るためには、まず自己開示をちょっとずつしていく必要があるという。  コミュニケーション、特に職場での雑談とかって内容は実際マジで本当にどうでもよくて、コミュニケーションの形式をいかになぞり合えるか(お互いに同じパントマイムをするみたいに)というところに主眼があると私は思っている。なので、そこにわざわざ身を晒す必要もないし求められてもいない。大事なのはお互いにお互いが「無害である」、「敵意はない」ということを確認し合うことであると思う。それだけのことが非常にめんどうで難しい。

日記 2025/05/26 自己開示

天気:曇り メンタル:まあまあ ずっと今日みたいな天気がいいです。お願いします。 私は職場とかで他人と話すときにプライベートのことを話すのが怖くて、話せない。話すと多くの場合、のちのち後悔するのだ。「出しゃばったなあ」とか「自分のことばかり喋ってしまったなあ」とか。とても後悔する。プライベートなことと言っても、深刻な話ではなくて、一般的に見れば、日常会話的なこと。例えば、私が宇多田ヒカルの楽曲が好きだとして、雑談で音楽の話になったときとかに「拾井さんは何か好きなアーティストとかいる?」だとか聞かれたとして、絶対に「宇多田ヒカルの曲が好きですね」とか言えないと思う。普通の人だったら全然言えることだと頭ではわかっている。宇多田ヒカルの楽曲が特殊だと言いたいわけではなく、自己開示をすること自体が私にとっては恐怖だということだ。うまく説明できないんだけどなんか非常に脅かされている気がする。自分の基準だと「特に聞かないですね」と答えるのが精一杯だと思う。なので、私が自分から話題にできるのは、天気とか季節くらいになってしまう。  パブリックとプライベートの間に「個人的なことだけどパブリックな場でも話せる程度のどうでもいい小さな話題」置き場をつくるのがいいのではないだろうか。この話題なら、自分のことだけど脅かされる感じを持たずなおかつトキシックでないのでパブリックな場で話せる話題。そういった話題の引き出しを持っているということが「社会性」があるということかもしれない。「大人」であるということかもしれない。「知性」ということかもしれない。「成熟」ということかもしれない。

日記 2025/05/25

天気:晴れ メンタル:元気 だんだん日中が暑くなってきた。 就労支援の事業所に引き続き通っている。働いているわけではないのだが、社会とつながっている感じはあって、精神的に救われている。 読書ができるようになってきた。ページ数や読むのに集中できている時間を気にしなければいいとわかり、実際「気にしない」ということができているときはなんか読めている。復調の兆しだ。 私は早く働けるように戻りたいと思っているけど、まじめに働いていたせいで、働けなくなってしまうほどに体調を崩してしまったので、次働くときはまじめになりすぎないようにしようと思う。 最近、また一つ歳を重ねた。実感はない。きっと、一生そのときそのときの年齢の実感など一切湧かないままにいつの間にか老いて、いつの間にか死ぬのだろう。それが幸せなのだろう。 この世界では生まれた境遇が違えば戦争で死ぬかもしれないし、平穏に暮らしていたとしても不慮の事故などで死んでしまう可能性を考えれば、年甲斐もないままいつの間にか死ねたら幸せだろうな。

日記 2025/05/24 「童貞」イジりをしてきた君へ。

天気:晴れ メンタル:素直  風呂に入っているとき、ふと大学生の頃のことを思い出した。 ゼミの受講者の一人の女がことあるごとに私に対して「童貞」イジりをしてきた。その女と私は普段の関わりはなく、ゼミが一緒というだけだった。 当時の私はイジられてうろたえた。 「童貞」だとバカにされるのは自分のほうに落ち度があって仕方ないのかもしれないとすら思った。 そんなわけはない。その女がただただクズだったのだ。 というわけでその女への言い返しの言葉を供養も兼ねて書きたいと思う。当時は何も言い返せなかったが、思い出した途端、言い返す言葉が溢れ出した。 あのときはなぜそのような言葉をわざわざ言うのか理解できなかったし、なぜ自分がこんなにも傷つくのかわからなかった。 今ならある程度は分析できてわかるようになった。 私に対して「童貞」イジりをしてきた君へ。 君が他人を幸せにすることは一生ないだろう。 君はその空疎な心でこれからも周囲の人を傷つけ踏みにじっていくだろう。 いつかそのことに自分で気がつけるといいね。 さようなら。 ↑ 本当はもっと長々と書いたんだけど、見苦しいので少しだけ。

日記 2025/05/21

天気:エアコンが必要な暑熱 メンタル:昨日よりいい 伏線は常に過去形である。 伏線は、「これって伏線だから覚えておいてね」という形で書かれるものではない、たぶん。自然な形としては物語の中のある出来事が思いがけない形で後々の出来事に影響してくる(ように見える)のが一般的だ。つまり、伏線というのは「伏線だった」という形で後々になってわかるものだ。 最近は物語(特に漫画やアニメ)において「伏線(かもしれないもの)」が後々ではなくその場で強く見出されがちな傾向があるように思う。作者の方もイースターエッグ的にほのめかしの記号をひそませていたりする。そこでは、読者の「伏線に気づきたい(今後の展開を万全に楽しみたい)」という気持ちと作者の「伏線を匂わせたい(気づける人には気づいてほしい)」という気持ちが噛み合って伏線の読み合い騙し合い合戦みたいになっている(ように見える)。 私は別に伏線とかよくわからなくてもそれでいいんじゃないかと思う(察しが悪くていわゆる「伏線」に全然気がつけない人間の強がり)。例えば、作中の「これっていったいなんだったの?」という謎が全然明らかにされないまま終わってもそれはそれでいいと思っている。物語の本筋に関係がないならそういった謎は謎のままでよく、本筋に関係があるのに謎が明らかにされないタイプの物語でも、自分がこの物語はおもしろく終わったと感じられればそれでいいと思っている。 あと、個人的に謎は謎のままであるときが一番おもしろい。 前の日記にて、「人に弱みを握られるような気がして、自分の気持ちを開示することができない」という趣旨のことを書いた。だけど、弱みか否かというのは自分が判断できることだから、自分が弱みだと思わないんなら別にいいんじゃないか。そもそも相手が勝手に思ってる弱みはたいしたことないんじゃない? そういうムーブをしてくる相手に対しては毅然と対応をすればよく、多くの人は特に何も言わないだろう。だとしたら、他人と関わることも、孤独であることもそんなにつらくも怖くもないんじゃないだろうか? 距離感としてひとつ参考になるのは、「嘘はつかないけど本当のことは言わない」という距離感だ。  今日の日記はカッコが多いね。 今日、たまたま読んだ漫画がとてもおもしろかった。 田中火蛾「何かが至りません」(となりのヤングジャンプ) という作品で説得力のあ...

日記 2025/05/19  伏黒甚爾理論

天気:晴れ メンタル:昨日よりはマシになった 私は午前中本を読んでいた。まばたきをして目を開けると、時間は1時間半経っていて、読んでいる箇所は1ページも進んでいなかった。という恐怖体験をした…。コワ~。 いつの間にか眠っていた…。最近、本を読むとすぐ眠くなる。 机に突っ伏して変な姿勢で寝たせいで首と背中がこわばっている感じがする。     ・伏黒甚爾理論 小説を読むうえで、その物語がいったいどういう物語なのかという暫定的な筋の予想ができないと読み進めるのがきつい。つまり、物語というのはある程度「こういう話」というのが予想がついたほうがいい。そのうえでその予想を上回っていく物語がおもしろい物語だ。私はこれを伏黒甚爾理論と呼んでいる。   「オマエみたいに隙がない奴には緩急つけて偽のゴールをいくつか作ってやるんだ」 ──伏黒甚爾 (『呪術廻戦』9巻、芥見下々、集英社) これは物語全般の創作において重要なことを言っているように思う。「オマエみたいに隙がない奴」というのは、要するに読者のこと。読者は偽のゴール、とりあえずのゴールを欲している。そして、最後に本当のゴールを提示されること、裏切られること、自分の予想を上回られることを期待している。しらんけど。  

日記 2025/05/18

天気:曇り メンタル:眠く沈みがち 今日は何度も読書をしようと試みたが、数行読むと眠くなったり、あるいはトイレに行きたくなったり、散歩に行きたくなったりして、結果的に何度も何度も同じ数行を読み直すばかりで進まなかった。 そんな日もある。  

日記 2025/05/17

天気:雨 メンタル:眠く重い 疲れたなあ。今日一日なんにもしてないけど。 『パン焼き魔法のモーナ~』を読んでたけど結局爆睡してしまった。昨夜もしっかり寝て昼間もしっかり寝て。 私は自分が他人が怖いと思っていたし、今もうっすら思っているけど、改めて考えてみて怖いかと思うと怖くない気もする。なぜなら、私が怖いのは元の職場のクソ上司のような筋の通らない高圧的な人間だ。求めている結論ありきで質問をしてくるような強い同調圧力を強いる場と人。その理不尽さ、筋の通らなさ、理解しがたさ。私の恐れる人々は、自分たちが他人にそれぞれ矛盾したことを同時に要求していることを理解していない。そうしたものを抜きにすれば、人に対して恐怖はないかもしれない。 自分が過去に自責してしまった場面って、振り返ってみると99.9%は相手が勝手にキレてたり勝手に不機嫌になってたり、その相手だけが悪いとしか思えない。そういう意味では怖いのは空気を読まされる同調圧力であって、他人ではない。空気を読まなくていいんなら、怖くはない。初めてやることにドキドキするとかはこれからもあっても、「人が怖くて何もできないもう無理」みたいなことはないのかも。 体調がいいからだと思うが、いろいろなことにちょうどよく興味がない。ちょうどよくどうでもいい。仕方がないものは仕方がないし。