日記 2025/05/26 自己開示
天気:曇り
メンタル:まあまあ
ずっと今日みたいな天気がいいです。お願いします。
私は職場とかで他人と話すときにプライベートのことを話すのが怖くて、話せない。話すと多くの場合、のちのち後悔するのだ。「出しゃばったなあ」とか「自分のことばかり喋ってしまったなあ」とか。とても後悔する。プライベートなことと言っても、深刻な話ではなくて、一般的に見れば、日常会話的なこと。例えば、私が宇多田ヒカルの楽曲が好きだとして、雑談で音楽の話になったときとかに「拾井さんは何か好きなアーティストとかいる?」だとか聞かれたとして、絶対に「宇多田ヒカルの曲が好きですね」とか言えないと思う。普通の人だったら全然言えることだと頭ではわかっている。宇多田ヒカルの楽曲が特殊だと言いたいわけではなく、自己開示をすること自体が私にとっては恐怖だということだ。うまく説明できないんだけどなんか非常に脅かされている気がする。自分の基準だと「特に聞かないですね」と答えるのが精一杯だと思う。なので、私が自分から話題にできるのは、天気とか季節くらいになってしまう。
パブリックとプライベートの間に「個人的なことだけどパブリックな場でも話せる程度のどうでもいい小さな話題」置き場をつくるのがいいのではないだろうか。この話題なら、自分のことだけど脅かされる感じを持たずなおかつトキシックでないのでパブリックな場で話せる話題。そういった話題の引き出しを持っているということが「社会性」があるということかもしれない。「大人」であるということかもしれない。「知性」ということかもしれない。「成熟」ということかもしれない。