日記 2026/08/30
天気:曇り メンタル:夜眠れなくて昼眠すぎてきつい ここ最近、わたしは集中できないことに日々イライラしていた。いろいろ調べたり、マインドフルネスを実践してみたりもした。とにかく、集中ができるようになりたいと思っていた。集中できるようになったら、長年の積ん読、積みゲー、積み映画もはねぼうきでホコリを払うようにすいすいと跡形もなく消えてなくなるだろうという幻想を抱いていた。そして、集中できるようになろうという努力はするものの、積ん読も、積みゲー、積み映画もあんまり消化されないままの状態が続いていた。 そうした状況がかなり続いて、これはなにかがおかしい、ボタンを掛け違えている気がすると思った。そもそもなんで集中できるようになりたかったんだっけ? 「集中できるようになりたい」というとき、それは具体的にどんなことができるようになったら「集中できるようになった」と思えるのだろうか。 わたしが思うところでは、我を忘れ、時間を忘れ、ドアのチャイムを忘れ、なんなら寝食を忘れ、没我の境地に至り、4時間でも5時間でも対象に没頭できることを欲望していた(そして、それは幻想の中にしかなかった)。 あるいは、自分が「集中できている」と納得、満足できていれば、まあいったんそれでもいいと思った。 そこで、「こういうことができるようになったら、集中できている」という指標のようなものはある? と生成AIに聞いた(普段まったく人と話さないからさ…)。そしたら、生成AIはいろいろ集中するためのライフハック的なことを教えてくれたのだが、そこで、ちょっと待てよ、わたしは集中がしたいんじゃなく、そもそもは本を読んだり、ゲームをしたり、映画を見るということを楽しみたいだけだったんじゃないか? にもかかわらず、集中の方法ばかりを考えて、なんにもしていないじゃないか、と思った。1ページでも読んだか? →いいえ 1分でもプレイしたか? →いいえ アニメを1話でいいから見たか? →いいえ つまり、現状のわたしのやり方はなにも問題を解決していない。そもそも、目的はなんであれ、「集中する」こと自体はそれらを達成するための「手段」であって、「集中」自体を目的にする必要はないのではないだろうか? 本にしろ、ゲームにしろ、映画にしろ、その過程において自分が100%やれたかどうかがこれま...