日記 2026/05/07
天気:晴れ メンタル:落ち着いている ある程度のまとまった無駄とも思える長い時間の後で、「ああなんて時間を無駄に過ごしてしまったのだろう」と後悔する。そうしてようやく、その無駄な時間が回復には必要だったのだということに気づく。 ということになると思いたい。 あいかわらず無職である。生活費は公共料金と携帯料金などに限って親のすねをかじっている。といっても、取り決めとしては、これは借金であり、通算でもうすでにかなりの額が親への借金となっている。税金などの肩代わりはありがたいことではあるが、服を買ったりはできないし、髪を切るのも半年以上ためらっている。不満がないのとお金を使うのがちょっと怖いからである。とは言ってもこれは文句ではない。自分でも気にしていない部分に関しては特に不満はない。もちろん焦りはある。 こうして、お金の使い道を考えていくと、自分の欲望がほぼほぼ消え入ってしまっていること、ないわけではないけど、働くとなると、ためらってしまう自分がいることがわかる。働くことが人格否定の恐怖と果てなき疲弊を伴うものと理解しているので、そうまでして生きていたいかと言われると微妙である。また、そこまでして耐えてお金を得たとして、使い道を思いつかない。もちろん、税金や水道光熱費など以外でという話である。 昨年は住んでいる自治体の就労支援機関に通っていた。面談員と面談を幾度もやったし、面談員から勧められれば就労のためのプログラムにも取り組んだわけだが、 結局やめた。理由は、あるプログラムのあとで、唐突に障害者雇用を勧められたからだった。これは非常にショックだった。いきなり一方的で意味がわからなかったし、強引で信頼を裏切られたと感じた。いっぽうで、このために、コミュニケーション改善のためのプログラムを勧めていたのだと合点がいった。そして、自分を支援してくれるはずの仕事をしている人ですらこんな無茶苦茶なことをするなんて、と誰も信じられない気持ちになった。 そもそもわたしは面談員に上司がカスだったという話をしていたはずだった。それで、やめざるをえなかったのだと。もちろん、そんな表現ではないが。それがいつの間にかわたし自身のコミュニケーション能力の問題にすり替わり、悪かったのはカス上司ではなく、コミュニケーション能力のない(とされる)わたしのほうであり、わたしには持病もあるので、そんなカス...