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日記 2026/08/21

天気:カーテンを開いてないのでわからないが晴れっぽい メンタル:けっこういい  「未解決事件は終わらせないといけないから」をプレイした。すごく良かった。トゥルーエンドがいいね。物語として美しく、じわっと感動の広がる作品だった。   これまでの過程のすべてが良いも悪いもすべて含めて私の人生だった。人生というのは突き詰めれば”今”であり、”過程”なのだ。道というのは納得しているから歩めるのだ。結果を追い求めすぎて生きるということの過程への納得を犠牲にしすぎると、だんだんと人生が苦しくなっていく。納得できる過程を歩めていけるかどうかが大事だ。自分の納得のいく過程を歩めれば、人生がどこに辿り着こうとも、それは納得のいく終わりになるのではなかろうか。  それはそれとして、外に出ていない。前回の通院を最後に家を出ていない。ずっとゲームをして、読書をして、生成AIに体調が優れない話をしている。本当は人と会ったほうがいいんだろうとは思う。 でも、会う友人もいなければ、お金もないので、AIに話を投げて、AIがそれっぽいことを返してきて、「ふーん」と思ったり、虚しくなったり、いろいろしている。  ここ数日はSNSに気が散ったりせずに、映画を見たり、ゲームをしたり、読書をしたり、に没頭できているのでいい感じに過ごせている。ちょっと疲れてもいるけど。  最近、スマホのケースを外してむきだしで使っている。なんというか、傷がついたとしても、それはそれで味わいなんじゃないだろうかと思った。画面に傷がつくのは嫌なのでフィルムはしている。  歯医者で虫歯を治療した。奥歯を銀歯にした。そしたら、銀歯で埋めた部分が『宝石の国』のフォスフォフィライトみたいなインクルージョンのようで、個人的に気に入っている。悪くない。これもまた味わいである。虫歯なんてないに越したことはなく、削らざるをえなくなる前に治療すべきだったけど、虫歯の治療痕というのは人それぞれの生きてきた証という感じがしませんか? 私はそこに人生の味わいとその人の個性の片鱗を感じます。それはそれとして、歯医者の定期検診には行ったほうがいいですね。  

日記 2026/06/09 静けさの反対が眩しさになるようなあり方

天気:雨など メンタル:気が散っている 静けさの反対は眩しさである。双極症とは、静けさの反対が眩しさになるようなあり方であると言える。 ここ最近はずっと軽いうつ状態だった。集中してなにかをするということができず、かといって何もしないでもいられないので、YoutubeやBlueskyなどのSNSを見たりして過ごしていた。図書館にしばらく通ったりもしたが、集中して本を読めず、居心地が悪いので行くのをやめてしまった。静けさに耐えられなかった。静けさの中では、いろいろなことを考えてしまう。考えたくもないことも考えてしまう。じっとしていられない。なので、スマホを見る。Youtubeを見る。Blueskyを見る。しかし、SNSは気が散る。いろいろな情報の濁流は眩しい。眩しすぎて、目がくらむ。キリがない。頭がくらくらする。気が散る。眩しすぎて耐えることができない。結局、じっとすることも、なにかをすることもできない。 できることならば 、ひとつのことに没頭していられる時間が作れたらいい。読書に一日に1時間でも集中できたらいい。読書している間は読書のことだけを考えられたらめっちゃいい。ゲームでもいい。ゲームのことだけに集中して1時間過ごせたらどれほどいいだろうか。もう、こうなったら、スマホを金庫に閉じ込めてしまうほかないのではないか。スマホのスクリーンタイムをとにかく減らさなくてはならない。PCのスクリーンタイムも減らしたいけど、PCは文章を書くのにどうしても必要だ。ボールペンとノートで文章を書くのは試してみたけどかなり限界がある。手がとても疲れる。肩と腰もすぐに疲れる。とはいえ、限界がわかりやすいからこそすぐに休憩を取るのでいいという面もあるのだが…。いずれにせよ、スマホの使用を制限しなくては。 できることをやっていこう。逆に言えば、できることをやらずにいるのはやめよう。どんどんトライしていこう、という気持ちだけはある。気持ちだけは…。

日記 2026/05/07

天気:晴れ メンタル:落ち着いている ある程度のまとまった無駄とも思える長い時間の後で、「ああなんて時間を無駄に過ごしてしまったのだろう」と後悔する。そうしてようやく、その無駄な時間が回復には必要だったのだということに気づく。 ということになると思いたい。 あいかわらず無職である。生活費は公共料金と携帯料金などに限って親のすねをかじっている。といっても、取り決めとしては、これは借金であり、通算でもうすでにかなりの額が親への借金となっている。税金などの肩代わりはありがたいことではあるが、服を買ったりはできないし、髪を切るのも半年以上ためらっている。不満がないのとお金を使うのがちょっと怖いからである。とは言ってもこれは文句ではない。自分でも気にしていない部分に関しては特に不満はない。もちろん焦りはある。 こうして、お金の使い道を考えていくと、自分の欲望がほぼほぼ消え入ってしまっていること、ないわけではないけど、働くとなると、ためらってしまう自分がいることがわかる。働くことが人格否定の恐怖と果てなき疲弊を伴うものと理解しているので、そうまでして生きていたいかと言われると微妙である。また、そこまでして耐えてお金を得たとして、使い道を思いつかない。もちろん、税金や水道光熱費など以外でという話である。 昨年は住んでいる自治体の就労支援機関に通っていた。面談員と面談を幾度もやったし、面談員から勧められれば就労のためのプログラムにも取り組んだわけだが、 結局やめた。理由は、あるプログラムのあとで、唐突に障害者雇用を勧められたからだった。これは非常にショックだった。いきなり一方的で意味がわからなかったし、強引で信頼を裏切られたと感じた。いっぽうで、このために、コミュニケーション改善のためのプログラムを勧めていたのだと合点がいった。そして、自分を支援してくれるはずの仕事をしている人ですらこんな無茶苦茶なことをするなんて、と誰も信じられない気持ちになった。 そもそもわたしは面談員に上司がカスだったという話をしていたはずだった。それで、やめざるをえなかったのだと。もちろん、そんな表現ではないが。それがいつの間にかわたし自身のコミュニケーション能力の問題にすり替わり、悪かったのはカス上司ではなく、コミュニケーション能力のない(とされる)わたしのほうであり、わたしには持病もあるので、そんなカス...

日記 2026/02/11

天気:雨 メンタル:体調悪い ここ最近、精神を崩している。雪、雪、雨、雪、雪、寒風。鬱である。働けていない現状に対して「じゃあどうしたらいいだろうか、何ができるだろうか」と考えているが、「何もしたくないし、できるわけがない」とずっと思って過ごしている。 自分が再度、元気よく働けるようになれるイメージがまったく湧かない。元気とまでいかずとも、落ち着いて無理なく働けているイメージすらできない。 今、自分が働いているところをイメージすると、どうしても悪いイメージばかりだ。具体的には、「ミスをして叱責される→パニックになり慌てふためく→さらに慌ててミスを重ねて叱責されまくる」というイメージしかできない。 もう2年前に退職した前職でのことがいまだにフラッシュバックしているというだけなのだが…。  実際のところは、もちろんそんな職場や人ばかりではないはずなので、それほど気に病むことはないのかもしれない。でも、求人に応募してみるという一歩すら踏み出せない。怖いかといえばとても怖い。バイトの求人に応募するのが怖い。ためらってしまう。 とはいえ、そもそも体調が元気なときはこんなふうに考えたりしないのだから、できない、できない、と考えている時点で気分が落ちこんでいる証拠なのだ。そうだとしたら、気分や体調を回復させることに専念するしかない。じっと耐えて鬱のトンネルをくぐり抜けるのを待つしかない。 こうした不調の際は、何も考えないで時間をやり過ごすということ自体もひとつの解決法である。目の前の問題は解決しないけど、少なくとも今よりひどくはならないし、精神と身体を回復できる。「自分にはなにもできない…」と落ち込むよりマシである。  今日はダラダラとインターネットを見て無為に時間を過ごしてしまった。何をする気にもならない。数少ない趣味である読書やゲームも何一つできない。寒くて散歩もしたくない。何かに興味を持つ、ワクワクするという感覚をどこかに忘れてきてしまったかのようだ。何にも関心が持てないのはとてもきついことだ。今日は、食事に関心が持てず何も食べたくない自分と、普段習慣的に食事をとっている自分とがかち合って、「めっちゃめんどうだけど嫌々食べる」という行為をしてメンタルが疲れた。こういうことで疲れると言っても、あまり理解されないとは思うが。 まあ、ダラダラしたっていいじゃない...

日記 2026/01/19

天気:晴れ メンタル:塞いでいる 元気がない。とにかく元気がない。助けてくれ~。 なんにもしたくないし、できないよ~。   

日記 2026/01/17

天気:晴れ メンタル:落ち着いている もう人生を終わりにしたい、という気持ちと、無理なく生計を立てられるすべをなんとかして見いだせないだろうかという気持ちがある。無理なく生計を立てられるすべをなんとかして見つける努力はギリギリなんとかできそうなのでしたい。死んでしまおうとするよりはそっちのほうが穏やかだし現実的だ。なんとかそちらの方向で生きていきたいとは思う。タイムリミットはいちおうないから落ち着いてやっていきたい。 でも、正直なところ、働いてまで生きていたくない。欲望もほぼまったくない。積極的になにかをしたいということもないし、好きということもない。欲しいものもないし、おいしいものを食べたいという気持ちもない。というか、働いてまでそれらを手に入れたくない。自分に無理を強いて働いて、それらを手に入れるくらいならば、そういうものを諦めるほうに気持ちがいく。 そこまでしてほしくはない。何かを欲しいという気持ちが最近全然わいてこない。 無理なく頑張るというのは、私にとってただ存在するということであって、働くことではない。私にとってはただ存在するということだけでも無理なく頑張るということのの輪郭ギリギリでやっていることだ。既存の「働く」ということは、私にとっては無理をするということだ。そうだとしたら、「働く」のほうを自分にとっての「無理のない範囲」まで変えていく必要がある。 でも、無理のない範囲で働けたとして、生きて、だからなんだというのだろうか。それはいったいなんのために生きているのだろうか。意味がないように思える。だとしたら、自分にとっての「生きる意味」も考えなくてはならない。そこから始めなくてはならない。

日記 2025/12/29 ブック・オブ・ザ・イヤー2025

天気:晴れ メンタル:鬱っぽいが昨日よりは動けている  今年読んだ本で印象に残った良かった本のうち、新刊既刊を問わず、小説を3つ、非小説を3つあげたいと思う。というか今年の本は全然読まなかった。それぞれの本について、個別に感想を書きたいところだけど、鬱で気持ちが重くて疲れてだるいので割愛したい。しいて言えば、「マジョリティがルールを作る世界の中において、マイノリティがマジョリティたちとは異なる生き方を模索し、試行錯誤する」というところに自分の興味があるのだろうと思った。ここに取り上げた6冊も、うっすらとそうしたテーマで繋がっているように思う。ただ、竹村和子『フェミニズム』は印象に残ったとはいいつつも、内容をあまり自分が理解できたとは言い難いので、ちょっと違うかもしれない。雑な括り方になってしまってすみません。括りたいというわけでもないですが。 マイノリティなりの生き方、あり方というところに自分自身の生き方も重ねて、自然とそういう視点で読書をしていたように思います。   -小説- ・マーダーボット・ダイアリー、マーサ・ウェルズ、中原尚哉訳 ・パン焼き魔法のモーナ、街を救う、T・キングフィッシャー、原島文世訳 ・ペナンブラ氏の24時間書店、ロビン・スローン、島村浩子訳 -非小説- ・庭の話、宇野常寛 ・香山哲のプロジェクト発酵記、香山哲 ・フェミニズム、竹村和子