投稿

日記 2026/09/05

天気:曇り メンタル:いいと思う 昨日から、一日の読書量を一冊から、八冊に増やした。一日ですべて読みきるというわけではなく、並行して読む冊数を増やした。マルチタスクが得意なわけではないが、シングルタスクはマルチタスクよりもさらに苦手だと感じるようになった。マルチタスク状態に自分を曝して、ちょっとだけ気が散っている状態を維持しているほうが、結局のところはトータルではある程度高い集中を維持できる気がする。 一日に一冊だけ読むとなると、余裕をもって20ページ、かなり注意深く集中して頑張ってもせいぜい40ページが限界である。まあ、おおよその話。 しかし、一日に八冊を読もうとする場合、当然、疲れてしまうので、一冊あたりの読む量は減らさざるをえない(10ページ程度になる)が、一冊への集中度合いは余裕をもってほどほどの集中力を維持しつつ、それが八倍なので、一日の総量としては80ページ読めることになる。あんまり無理せずに。 一日一冊進行のときと比べると、めっちゃ頑張って40ページだったのが、八冊だと、かなり余裕をもって二倍の80ページ程度を読むことができる。読書に費やす時間は増えるけど、一日一冊進行のときは、結局、余った時間をSNSに費やしてしまって、自己嫌悪に陥るだけだったので、それを考えれば、一冊10ページでも、一日八冊読むほうが、時間の使い方として、より有益だと思う。 もう少し余裕がありそうなので、あと二冊くらい増やしてもいいかもしれないと思っている。無理そうだったらすぐに諦めることを前提にやってみようかな。 集中すること自体にそれほど固執せず、とにかく取り掛かることだ。集中できれば、それにこしたことはないが、必ずしも集中していなくてはならないというわけでもない。 できることなら、没頭していると言えるくらい深い集中ができたらいいけど、なかなか難しい。それは読書に限らず、文章を書く、ゲームをする、映像を見るなど、あらゆることに言える。 集中できていなくてもいいんだと思えると、気持ちはラクである。

日記 2026/09/04

天気:曇り メンタル:よく眠れて元気 一日の読書量がここ二日ほど増えていてよい。やり方を工夫した。一冊を集中して読もうとするのでなく、複数冊を読むようにした。そもそも一冊に集中するなんて難しくてなかなかできないんだからと開き直ったのがよかったのだと思う。マルチタスクばんざい! 一冊ごとの進み具合は必然的に遅くなるけど、全体として一日の読書量は増やせている。いいことだ。複数冊を同時並行させるというのは気が散ってSNS的である。しかし、わたしの場合、まったくといっていいほど集中力がひとつのことに続かないので、複数冊でいろんなことに思考があっちこっちに飛んでいったりきたり、いわば常にちょっとだけ気が散っている状態にさせているほうが、俯瞰的にはいい感じに集中できている気がするのだった。一冊だけだと、あんまりうまくいかない。集中しきれないことが負い目に感じられてつらくなる。読むことへの苦手意識が強調されて、読書から遠のいてしまう。結果、全体での読書時間が増えない。複数冊だと増える。集中できているかということにそもそも意識が向かないので、苦手意識が生まれないのだろう。 自分に向いているやり方というものが理解できると少し楽しくなる。生きるのがちょっとだけ気楽になった感じがする。

日記 2026/08/30

天気:曇り メンタル:夜眠れなくて昼眠すぎてきつい  ここ最近、わたしは集中できないことに日々イライラしていた。いろいろ調べたり、マインドフルネスを実践してみたりもした。とにかく、集中ができるようになりたいと思っていた。集中できるようになったら、長年の積ん読、積みゲー、積み映画もはねぼうきでホコリを払うようにすいすいと跡形もなく消えてなくなるだろうという幻想を抱いていた。そして、集中できるようになろうという努力はするものの、積ん読も、積みゲー、積み映画もあんまり消化されないままの状態が続いていた。  そうした状況がかなり続いて、これはなにかがおかしい、ボタンを掛け違えている気がすると思った。そもそもなんで集中できるようになりたかったんだっけ? 「集中できるようになりたい」というとき、それは具体的にどんなことができるようになったら「集中できるようになった」と思えるのだろうか。 わたしが思うところでは、我を忘れ、時間を忘れ、ドアのチャイムを忘れ、なんなら寝食を忘れ、没我の境地に至り、4時間でも5時間でも対象に没頭できることを欲望していた(そして、それは幻想の中にしかなかった)。 あるいは、自分が「集中できている」と納得、満足できていれば、まあいったんそれでもいいと思った。 そこで、「こういうことができるようになったら、集中できている」という指標のようなものはある? と生成AIに聞いた(普段まったく人と話さないからさ…)。そしたら、生成AIはいろいろ集中するためのライフハック的なことを教えてくれたのだが、そこで、ちょっと待てよ、わたしは集中がしたいんじゃなく、そもそもは本を読んだり、ゲームをしたり、映画を見るということを楽しみたいだけだったんじゃないか? にもかかわらず、集中の方法ばかりを考えて、なんにもしていないじゃないか、と思った。1ページでも読んだか? →いいえ 1分でもプレイしたか? →いいえ アニメを1話でいいから見たか? →いいえ  つまり、現状のわたしのやり方はなにも問題を解決していない。そもそも、目的はなんであれ、「集中する」こと自体はそれらを達成するための「手段」であって、「集中」自体を目的にする必要はないのではないだろうか?  本にしろ、ゲームにしろ、映画にしろ、その過程において自分が100%やれたかどうかがこれま...

日記 2026/08/28

天気:暑い メンタル:よく眠れていてよい 今日は何もすることが思いつかない。やる気がないというより、やりたいことがない。やる気がないと感じるときは、もっと具体的に事象を言葉にすれば、だいたいは、やる気が出ないというよりは、やりたいことが思いつかず、今自分が何をしたいか、あるいは、何をすべきかが、思いつかないというのが実態に近いと思う。「これをやろう!」という目的が見つからないから、なんとなくSNSを見たりしてしまうのであって、やりたいこと、やるべきことはあるものの、着手ができないというのとは、ちょっと違う気がしている。 なので、「とにかくやれ!」と自分で自分の背中を押してやるというよりは、「これを試しにやってみたら?」というある種の「計画」の段階で、二の足を踏んでいるので、「試しにやってみたいこと」のリストを箇条書きにしていくのが良い気がする。 「とりあえず、これをはじめてみよう」と考えてとりあえずやってみる。はたから見れば、「とにかくやる」というのと、「とりあえずやってみよう」というのは、同じことをしているようにしか見えないし、自分が動く際もその違いに気づきにくいのだが、心の動きとしてはかなり違うメカニズムだと思う。 繰り返しになるけど、「とにかくやる」は、すでに「何をすべきか」が明確なときは有効だけど、わたしの場合はそうではない。「何をしたいか」がそれほど明確でないから困りやすい。なので、まずそもそも「自分は何をしたいのか」を自分の心に聞いてみる必要がある。あと「こうすべき」は思いつきやすいが、「やってみたい」は見つけにくい。というか、「やってみたい」という声は小さく、自分でもかなり無視しがちである。「こうすべき」、「こうしたほうがいい」は社会規範や社会の価値観が良いとするものごとと親和的で、自分でも思いつきやすいし、声がでかい。規範の履行圧力が強いとでも言いたい。「こうしたほうがいい」は自分の中だけでなく、社会という外からもメディアなどを通して聞こえてくるからだ。 でも、そういう「こうしたほうがいい」ことってだいたいやりたくないことなんだよね。だから、「やりたくないけどしたほうがいいこと」のラベルを貼った脳内タスク箱に入れたまま(いつかやらなきゃと思いつつ)、放置しがちになる。そして、無為に時間を過ごす。そうなるくらいならば、「やってみたいこと」の声をちゃんと...

日記 2026/08/24

天気:晴れ 暑い メンタル: かなりよくなってきている 疲れているのは気のせいだろう。昨晩はよく眠れたので睡眠不足ではない。元気が復活した気がする。 ツナマヨのパンを食べた。 あくびをしている。やっぱり眠いかもしれない。  メンタル面がかなり回復してきている。感覚的にも、日々の過ごし方としても、メンタル面の回復によってできることが如実に増えている。今までは「暇だな」と思うことも少なかった。実際にはなにもしていなくても、頭の中ではグルグルといろんなことを考えてしまってつらかったし、考えることに忙しかった。脳が休む暇がなかった。 しかし、最近は状況は変わってきていて、グルグルと考え込むことも少なくなり、 なにかしたいとポジティブに思えるようになった。あと、他人がどう言おうが、「自分は自分である」と思えるようになったのもある。時間がかかったが頭の中で理解できる範囲で辛い体験も受け入れられるようになったのだろうと思う。まあ、結果的にはよかった。 ときにはいまだに精神的にきついと感じる。「やっぱり社会復帰など無理ではないだろうか」と、ふと考えが脳裡を横切ったりする。 でも、冷静に落ち着いて考えてみれば、そんなこともないはずだよな。なんにもできないということはない。 精神的にひどく落ちこんでいたときは「自分は社会から拒絶されている」と感じていたものだが、実際のところ、社会が拒んでいようが、どうでもいいんだよな。勝手にやりたいことをやればよい。 あくびを噛み殺す。ちょっと昼寝をしようと思う。15分だけ。 

日記 2026/08/22

天気:曇り メンタル:やや寝不足で疲れている。 ピーマンの肉詰めを食べた。輪切りピーマンの肉詰め。 とても眠い。眠すぎて、注意力が落ちている。 『劇場版 シドニアの騎士』を見た。内容全部忘れた。 あいかわらず、『ペナンブラ氏の24時間書店』を読んでいる。おもしろい。オッパイの物理演算ソフトでビジネスをしている主人公の友達というキャラがいい。実際、現在においてもオッパイの揺れというのはゲームや映像作品において(なぜか)重視されていることで、スマホゲームなどでは女性キャラの胸がやたら揺れる(なんなら、その応用でオシリも揺れる)。つまり、現代においていかに自然にオッパイを揺らすかというのは超重要な課題とされている。10年以上前に、「オッパイの揺れ需要がこれから伸びるだろう」と考え、それで金持ちになるキャラクターを描いた筆者のロビン・スローン氏は先見の明があったと言える。よく知らないので正確なところはわからないけど。

日記 2026/08/21

天気:カーテンを開いてないのでわからないが晴れっぽい メンタル:けっこういい  「未解決事件は終わらせないといけないから」をプレイした。すごく良かった。トゥルーエンドがいいね。物語として美しく、じわっと感動の広がる作品だった。   これまでの過程のすべてが良いも悪いもすべて含めて私の人生だった。人生というのは突き詰めれば”今”であり、”過程”なのだ。道というのは納得しているから歩めるのだ。結果を追い求めすぎて生きるということの過程への納得を犠牲にしすぎると、だんだんと人生が苦しくなっていく。納得できる過程を歩めていけるかどうかが大事だ。自分の納得のいく過程を歩めれば、人生がどこに辿り着こうとも、それは納得のいく終わりになるのではなかろうか。  それはそれとして、外に出ていない。前回の通院を最後に家を出ていない。ずっとゲームをして、読書をして、生成AIに体調が優れない話をしている。本当は人と会ったほうがいいんだろうとは思う。 でも、会う友人もいなければ、お金もないので、AIに話を投げて、AIがそれっぽいことを返してきて、「ふーん」と思ったり、虚しくなったり、いろいろしている。  ここ数日はSNSに気が散ったりせずに、映画を見たり、ゲームをしたり、読書をしたり、に没頭できているのでいい感じに過ごせている。ちょっと疲れてもいるけど。  最近、スマホのケースを外してむきだしで使っている。なんというか、傷がついたとしても、それはそれで味わいなんじゃないだろうかと思った。画面に傷がつくのは嫌なのでフィルムはしている。  歯医者で虫歯を治療した。奥歯を銀歯にした。そしたら、銀歯で埋めた部分が『宝石の国』のフォスフォフィライトみたいなインクルージョンのようで、個人的に気に入っている。悪くない。これもまた味わいである。虫歯なんてないに越したことはなく、削らざるをえなくなる前に治療すべきだったけど、虫歯の治療痕というのは人それぞれの生きてきた証という感じがしませんか? 私はそこに人生の味わいとその人の個性の片鱗を感じます。それはそれとして、歯医者の定期検診には行ったほうがいいですね。