日記 2025/05/21
天気:エアコンが必要な暑熱
メンタル:昨日よりいい
伏線は常に過去形である。
伏線は、「これって伏線だから覚えておいてね」という形で書かれるものではない、たぶん。自然な形としては物語の中のある出来事が思いがけない形で後々の出来事に影響してくる(ように見える)のが一般的だ。つまり、伏線というのは「伏線だった」という形で後々になってわかるものだ。
最近は物語(特に漫画やアニメ)において「伏線(かもしれないもの)」が後々ではなくその場で強く見出されがちな傾向があるように思う。作者の方もイースターエッグ的にほのめかしの記号をひそませていたりする。そこでは、読者の「伏線に気づきたい(今後の展開を万全に楽しみたい)」という気持ちと作者の「伏線を匂わせたい(気づける人には気づいてほしい)」という気持ちが噛み合って伏線の読み合い騙し合い合戦みたいになっている(ように見える)。
私は別に伏線とかよくわからなくてもそれでいいんじゃないかと思う(察しが悪くていわゆる「伏線」に全然気がつけない人間の強がり)。例えば、作中の「これっていったいなんだったの?」という謎が全然明らかにされないまま終わってもそれはそれでいいと思っている。物語の本筋に関係がないならそういった謎は謎のままでよく、本筋に関係があるのに謎が明らかにされないタイプの物語でも、自分がこの物語はおもしろく終わったと感じられればそれでいいと思っている。
あと、個人的に謎は謎のままであるときが一番おもしろい。
前の日記にて、「人に弱みを握られるような気がして、自分の気持ちを開示することができない」という趣旨のことを書いた。だけど、弱みか否かというのは自分が判断できることだから、自分が弱みだと思わないんなら別にいいんじゃないか。そもそも相手が勝手に思ってる弱みはたいしたことないんじゃない? そういうムーブをしてくる相手に対しては毅然と対応をすればよく、多くの人は特に何も言わないだろう。だとしたら、他人と関わることも、孤独であることもそんなにつらくも怖くもないんじゃないだろうか?
距離感としてひとつ参考になるのは、「嘘はつかないけど本当のことは言わない」という距離感だ。
今日の日記はカッコが多いね。
今日、たまたま読んだ漫画がとてもおもしろかった。田中火蛾「何かが至りません」(となりのヤングジャンプ)という作品で説得力のある朴訥としたコミュニケーション劇がとてもおもしろかった。教師の顔がうずまきになってるの、作者の生徒から見た教師像の解像度が高いな、と思った。たしかになあ、ふむふむと思った。特に「メガネ」、「歩き方」、「蚊」が個人的に好き。