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日記 2026/05/07

天気:晴れ メンタル:落ち着いている ある程度のまとまった無駄とも思える長い時間の後で、「ああなんて時間を無駄に過ごしてしまったのだろう」と後悔する。そうしてようやく、その無駄な時間が回復には必要だったのだということに気づく。 ということになると思いたい。 あいかわらず無職である。生活費は公共料金と携帯料金などに限って親のすねをかじっている。といっても、取り決めとしては、これは借金であり、通算でもうすでにかなりの額が親への借金となっている。税金などの肩代わりはありがたいことではあるが、服を買ったりはできないし、髪を切るのも半年以上ためらっている。不満がないのとお金を使うのがちょっと怖いからである。とは言ってもこれは文句ではない。自分でも気にしていない部分に関しては特に不満はない。もちろん焦りはある。 こうして、お金の使い道を考えていくと、自分の欲望がほぼほぼ消え入ってしまっていること、ないわけではないけど、働くとなると、ためらってしまう自分がいることがわかる。働くことが人格否定の恐怖と果てなき疲弊を伴うものと理解しているので、そうまでして生きていたいかと言われると微妙である。また、そこまでして耐えてお金を得たとして、使い道を思いつかない。もちろん、税金や水道光熱費など以外でという話である。 昨年は住んでいる自治体の就労支援機関に通っていた。面談員と面談を幾度もやったし、面談員から勧められれば就労のためのプログラムにも取り組んだわけだが、 結局やめた。理由は、あるプログラムのあとで、唐突に障害者雇用を勧められたからだった。これは非常にショックだった。いきなり一方的で意味がわからなかったし、強引で信頼を裏切られたと感じた。いっぽうで、このために、コミュニケーション改善のためのプログラムを勧めていたのだと合点がいった。そして、自分を支援してくれるはずの仕事をしている人ですらこんな無茶苦茶なことをするなんて、と誰も信じられない気持ちになった。 そもそもわたしは面談員に上司がカスだったという話をしていたはずだった。それで、やめざるをえなかったのだと。もちろん、そんな表現ではないが。それがいつの間にかわたし自身のコミュニケーション能力の問題にすり替わり、悪かったのはカス上司ではなく、コミュニケーション能力のない(とされる)わたしのほうであり、わたしには持病もあるので、そんなカス...

日記 2026/02/11

天気:雨 メンタル:体調悪い ここ最近、精神を崩している。雪、雪、雨、雪、雪、寒風。鬱である。働けていない現状に対して「じゃあどうしたらいいだろうか、何ができるだろうか」と考えているが、「何もしたくないし、できるわけがない」とずっと思って過ごしている。 自分が再度、元気よく働けるようになれるイメージがまったく湧かない。元気とまでいかずとも、落ち着いて無理なく働けているイメージすらできない。 今、自分が働いているところをイメージすると、どうしても悪いイメージばかりだ。具体的には、「ミスをして叱責される→パニックになり慌てふためく→さらに慌ててミスを重ねて叱責されまくる」というイメージしかできない。 もう2年前に退職した前職でのことがいまだにフラッシュバックしているというだけなのだが…。  実際のところは、もちろんそんな職場や人ばかりではないはずなので、それほど気に病むことはないのかもしれない。でも、求人に応募してみるという一歩すら踏み出せない。怖いかといえばとても怖い。バイトの求人に応募するのが怖い。ためらってしまう。 とはいえ、そもそも体調が元気なときはこんなふうに考えたりしないのだから、できない、できない、と考えている時点で気分が落ちこんでいる証拠なのだ。そうだとしたら、気分や体調を回復させることに専念するしかない。じっと耐えて鬱のトンネルをくぐり抜けるのを待つしかない。 こうした不調の際は、何も考えないで時間をやり過ごすということ自体もひとつの解決法である。目の前の問題は解決しないけど、少なくとも今よりひどくはならないし、精神と身体を回復できる。「自分にはなにもできない…」と落ち込むよりマシである。  今日はダラダラとインターネットを見て無為に時間を過ごしてしまった。何をする気にもならない。数少ない趣味である読書やゲームも何一つできない。寒くて散歩もしたくない。何かに興味を持つ、ワクワクするという感覚をどこかに忘れてきてしまったかのようだ。何にも関心が持てないのはとてもきついことだ。今日は、食事に関心が持てず何も食べたくない自分と、普段習慣的に食事をとっている自分とがかち合って、「めっちゃめんどうだけど嫌々食べる」という行為をしてメンタルが疲れた。こういうことで疲れると言っても、あまり理解されないとは思うが。 まあ、ダラダラしたっていいじゃない...

日記 2026/01/19

天気:晴れ メンタル:塞いでいる 元気がない。とにかく元気がない。助けてくれ~。 なんにもしたくないし、できないよ~。   

日記 2026/01/17

天気:晴れ メンタル:落ち着いている もう人生を終わりにしたい、という気持ちと、無理なく生計を立てられるすべをなんとかして見いだせないだろうかという気持ちがある。無理なく生計を立てられるすべをなんとかして見つける努力はギリギリなんとかできそうなのでしたい。死んでしまおうとするよりはそっちのほうが穏やかだし現実的だ。なんとかそちらの方向で生きていきたいとは思う。タイムリミットはいちおうないから落ち着いてやっていきたい。 でも、正直なところ、働いてまで生きていたくない。欲望もほぼまったくない。積極的になにかをしたいということもないし、好きということもない。欲しいものもないし、おいしいものを食べたいという気持ちもない。というか、働いてまでそれらを手に入れたくない。自分に無理を強いて働いて、それらを手に入れるくらいならば、そういうものを諦めるほうに気持ちがいく。 そこまでしてほしくはない。何かを欲しいという気持ちが最近全然わいてこない。 無理なく頑張るというのは、私にとってただ存在するということであって、働くことではない。私にとってはただ存在するということだけでも無理なく頑張るということのの輪郭ギリギリでやっていることだ。既存の「働く」ということは、私にとっては無理をするということだ。そうだとしたら、「働く」のほうを自分にとっての「無理のない範囲」まで変えていく必要がある。 でも、無理のない範囲で働けたとして、生きて、だからなんだというのだろうか。それはいったいなんのために生きているのだろうか。意味がないように思える。だとしたら、自分にとっての「生きる意味」も考えなくてはならない。そこから始めなくてはならない。

日記 2025/12/29 ブック・オブ・ザ・イヤー2025

天気:晴れ メンタル:鬱っぽいが昨日よりは動けている  今年読んだ本で印象に残った良かった本のうち、新刊既刊を問わず、小説を3つ、非小説を3つあげたいと思う。というか今年の本は全然読まなかった。それぞれの本について、個別に感想を書きたいところだけど、鬱で気持ちが重くて疲れてだるいので割愛したい。しいて言えば、「マジョリティがルールを作る世界の中において、マイノリティがマジョリティたちとは異なる生き方を模索し、試行錯誤する」というところに自分の興味があるのだろうと思った。ここに取り上げた6冊も、うっすらとそうしたテーマで繋がっているように思う。ただ、竹村和子『フェミニズム』は印象に残ったとはいいつつも、内容をあまり自分が理解できたとは言い難いので、ちょっと違うかもしれない。雑な括り方になってしまってすみません。括りたいというわけでもないですが。 マイノリティなりの生き方、あり方というところに自分自身の生き方も重ねて、自然とそういう視点で読書をしていたように思います。   -小説- ・マーダーボット・ダイアリー、マーサ・ウェルズ、中原尚哉訳 ・パン焼き魔法のモーナ、街を救う、T・キングフィッシャー、原島文世訳 ・ペナンブラ氏の24時間書店、ロビン・スローン、島村浩子訳 -非小説- ・庭の話、宇野常寛 ・香山哲のプロジェクト発酵記、香山哲 ・フェミニズム、竹村和子

日記 2025/12/28 ガチ鬱

天気:晴れ メンタル:鬱っぽいな すみません。今、緊急で日記を回しているのですが、ちょっとヤバい。今ガチで厳しい鬱が来ています。今年も終わりそうですが、ここにきて今年一番重度の鬱かもしれない。 今、本当になんにもできなくて、ちょっと頑張ろうと、せめてゲームくらいできるだろうと、Skyrimというゲームを最近数年ぶりに始めたので、今開いたんですけど、次になんのクエストをやろうかとか全然気持ちが湧かず、やりたくないんですよ。ひたすら持ち物の画面や、マップの画面、クエスト欄の一覧の画面をひたすらぼーっと眺めていました。そこからなにも始められない。ゲームも鬱で進められなくなってしまっている。 オーバーウォッチ2(オンラインのシューター)はほぼ毎日ちょっとずつできているんだけど、オフラインのRPGのような自分で物語を進めていくのができないですね。自分で何かを選び、自分でゴールを決めるということが本当にきつい。オーバーウォッチ2はルール、やることが決まっているし、デイリーチャレンジをこなすだけでも「やった感」が発生するけど、RPGは「やった感」を自分で設定して決めなくてはならないのがきつい。Skyrimは特に話が分かりづらいし、挙動がこれであっているのかバグでこうなっているのか分かりづらい。こんなもんでいいだろうというようなふうに考えられればいいのだが、あらゆることが自分で決められない感じ。本当は自分で決めていいだけどね。 上の話からは逸れるが、鬱とはちょっと関係のある話で、自分の中に「自分に都合のいい完璧主義」がある。自分にとって都合のいい完璧主義をかかげて、それができないって言っている。自分で恣意的にハードルを設けて「できないできない」と喚いている感じ。これが無意識に刷り込まれているから自分に対して「これくらいのことはできなくては」、「~しなきゃ」という気持ちをあらゆることにおいて考えてしまって、切羽詰まって自分で勝手にきつくなっているのだった。来年はこれが自覚できるようになれるとよい。自覚できると解呪につながるだろう。できればその場で自覚できるとその場の行動が気楽になるかも。 自分の中の規範的な部分をほぐせればいいね。

日記 2025/12/24

天気:雨 メンタル:鬱の感じが薄れて少し元気 最近、目覚まし時計をベッドではなく、デスクに置くようにしてから指定の時間通りに起きられるようになった。今までは目覚まし時計を3つセットしていたけど全てを律儀に無意識に止めて寝ていた。デスクに目覚まし時計を置いておくと否が応でも体を起こして時計を止めるから自然と目覚めるのだった。「なんかめんどうで嫌」という理由で今までデスクに置いてこなかったけど、置いたらとてもよかった。めんどうだからこそよかったのだ。めんどうにしてあるからこそ、機能することってあるよね。  『平家物語』を読み終えて『源氏物語』を読み始めたが、はるかに読みやすい。これは訳文がどうこうというより、固有名詞がはるかに少ないという理由だと思う。場面転換も少ないし。例えるならば『平家物語』 は台風のような文章で、『源氏物語』は小雨がずっと降り続いているような文章だ。『源氏物語』は読み始めたばかりだから、今後印象は変わるかもしれない。 『平家物語』は「平家にあらずは人にあらず」から始まり、「平家は人にあらず」で終わった。頼朝によって平家の血筋はすべて根絶やしにされて子供まで殺される最期は凄惨だった。筆者の目線が平家にも源氏にも肩入れせず、ただ語るという距離感だったからこそ、「この世はただただ虚しい」という感じが強調されていたのかもしれない。個人的には俊寛がよかった。俊寛は清盛に対してクーデターを企てて未遂に終わった一派の一人であり、のちに鬼界ヶ島に流罪にされた3人のうち、京に帰ることの叶わなかった1人。3人のうち2人は刑期の途中で帰るというか、恩赦が与えられ京に帰ることが許されるのだが、俊寛だけは死ぬまで帰ることができず、許されることがなかった。俊寛は恨みつらみを抱えて、悲嘆のうちに自害した。この人物の象徴的な最期は平家物語をいかにも象徴的に示しているように思えるのだった。  あと、平家物語の登場人物たちは、本当によく泣く。「袖を濡らす」とか「はらはら」(と泣く)という表現がことあるごとに出てくる。平家も源氏もメソメソ泣いてばかりである。人を斬られては泣き、人を斬っても泣き。こんなによく泣く物語だったとは思っていなかった。合戦をする話とばかり思っていたが、平家物語においては合戦というのはそれほど多くを占める要素ではなかった。もちろん合戦のシーンはあ...

日記 2025/12/09

天気:晴れ メンタル:ちょっとポジティブで中立 起こったことは起こったことだ。 やったことはやったこと。 元気に中立になろう。ずっと被害者ポジションに居着いてしまうのもよくないことだ。中立的にやることをやるのだ。 ポケモンレジェンズZAをプレイした。総じておもしろかったと言える。ポケモンSVのレイドバトルはターン制コマンドバトルと時間制限のあるルールがかみ合ってないように思えていた。なぜなら技のエフェクトが長いとそれだけ時間が無駄に消費されるし、コマンド選択も焦らせられている感じがあったからだ。そこがイライラポイントだった。 しかし、ZAになってターン制コマンドバトルが廃止されてゼノブレイドのようなアクションバトルになったことで、敵味方のアクションの同時性がプレイヤーにいい意味で焦らせることになっていてこれはこれで非常によかった変化だ。とはいえ、プレイヤーとポケモンが別個に存在しているわけで回避アクションが思ったようにいかないのがストレスと言えばストレスだった。技を回避しようと思って動かしたいのだが、そのへんの挙動が非常にもっさりしている。 余談だが、本作ではミアレシティは都市の再開発がテーマで、どうやら市長の一存でその再開発がクエーサー社という外資に任されるという状況なんだけど、本筋とは関係ないが、街のベンチが排除ベンチで嫌だった。プレイヤーが時間を朝から夜、夜から朝に飛ばす際に頻繁に目にするのでそのたびにミアレシティは排除ベンチなのかと思うと嫌な気分だった。こういうところは私は舞台のパリに排除ベンチがあるのかは知りませんが、本作の設定、都市の再開発、市長の一存で民間企業が再開発をするというところも含めて日本や東京っぽさを感じた。再開発、ジェントリフィケーションという感じが無意識に発動している感じも日本っぽいところがあるよね。 排除ベンチ自体も嫌だけど、排除ベンチがよくないものだとすら全く思っていない、その不勉強に対して嫌だと思う。街の再開発をテーマにするのだったら、せめてそのことくらい学んでほしかったし、排除ベンチを出すのならば、それによって困っている人が出てくるサイドクエストのひとつでも出したらどうなのだろうか。まあ、サイドクエストはやり残しているものがあるのであったらすみません。もしあったら教えて下さい。そういう意味性がいっさいなくただ排除ベンチを置くという...

日記 2025/11/29

天気:曇り メンタル:リラックスしている 小川哲『火星の女王』を読み終えた。読む前は小川哲の新作ということで非常に楽しみにしていた。以前読んだ『地図と拳』が非常におもしろかったからだ。だが、結論から言えば、本当に申し訳ないがまったくおもしろくなかった。私は家からはちょっと距離のある大型書店まで出向いてサイン本を手に入れたくらいにはかなり楽しみにしていたのでこの内容には非常に残念です。みなさんもぜひ買うなり図書館で借りるなどしてぜひ読んでみてほしい。そして感想をブログやBlueskyなどで書いてみてください。小川哲氏の次回作に期待したい。 読んだ人がわかればいいのでネタバレというほど仔細には書きませんが以下一応物語後半の内容を含む感想というかぼやき。おもしろくはないので読まなくていいです。『火星の女王』がおもしろくなかったというだけのことです。           地球と火星を舞台にした近未来の物語であるが、物語の世界のリアリティを裏打ちするだけのディテールがまったく不足しているように思う。説得力が感じられない。物語世界の規模自体も地球と火星という巨大な規模を感じられないほどの異常なまでのスケールの小ささである。『地図と拳』のほうがよっぽど物語世界の広さを感じられる。また、SFとしてもディテールが不足している。文章は丁寧で読んでいて理解できるのでなおさら説明不足が感じられた。SFという意味では最近読んだマーサ・ウェルズ『マーダーボット・ダイアリー』のほうが設定としては『火星の女王』よりも格段に突拍子もないのだが、はるかに説得力がある。  リリが「応援団長」になったところであまりの展開に鼻白んでしまった。「大統領」の代わりに「応援団長」ってなんだよ。そのうえ、リリが「ファスターザンライト作戦」を指揮したあたりからおもしろくなさがどんどん増大していった。このあたりから物語を丸く終わらせようという感じがした。非常にがっかりだ。なにが一番悲しいって、『地図と拳』を生み出したあの小川哲が書いた結果がこれだということが悲しい。文章のすみずみまで丁寧に書かれている感じがするにもかかわらず、「この程度なのか…」という衝撃的なつまらなさだ。繰り返すようだけど「応援団長」のくだりはあまりの気恥ずかしさに思わず声に出して嘆いてしまう...

日記 2025/11/26

天気:晴れ メンタル:今日はのんびりである 「いかに無理をしないか」という視点から生きることを(退職してからはとくに)考えてきたけれども、そうではなくて肯定的な言葉で生きることについて語れるようになることも必要ではないかと思うようになった。 未来の自分がこれを読み返したときに極端な解釈をしてほしくはないのだが、誤解を恐れずに言えば、「どんなことだったら無理をしてもいいと思えるか」という視点も必要ではないかと思う。実際に自分に無理を強いるかどうかは別として、そういう視点から物事を見て判断し選択していくというのはひとつの考え方だろう。 最近読んだ西村佳哲著『自分をいかして生きる』では、「生活」と「仕事」が同義として語られるのだが、現代において「仕事」は同義と呼ぶにはあまりに過度である。「働くことは暮らしていくことである」と呼ぶためには、働くことが生活の一部に収まるようでなくてはならない。なぜなら、「働くことだけが暮らしていくことではない」からである。いろいろな要素が混ざり合い生活を作っていくと考えたほうがより自然である。現代社会のような仕事(賃労働と言ってもよい)と仕事に付随する時間(支度や通勤)の二つが一日の大半を占めるあり方は豊かな生活とは言い難いし、実際問題として我々は仕事を原因として心身を害する。仕事を一日中しなくてはならない日があるというのは、それ自体はある程度許容せねばならないとは思う。これは程度の問題である。しかし、そういう日が常習的になってしまうとしたらそれはもはや許容できないだろう。生活とは労働だけのものではない。生活は、様々な家事はもちろん、他人との交流や、趣味、買い物などいろいろなものが複合して営まれていくものであるはずだ。 仕事だけの生活は結局のところ、「なんのために生きているのか」我々をわからなくさせる。決して、健康的で余裕のある生活ができているときの我々が「なんのために生きているのか」を理解できているというわけではない。健康的で余裕のある生活をしていると「なんのために生きているのか」を意識する必要がないのだ。しかし、仕事だけをせざるをえない生活を送っていると、そのうち「生きている意味がない」という形で我々の前に「生きている意味」の「不在」が現れてくる。生きている意味というのはしばしばその不在として頭に浮かぶのだ。 もしあなたが生活の中で「生き...

日記 2025/11/20

天気:晴れ メンタル:丁寧にやる気持ちがある 今日は疲れてぐったりした。午後、疲れてしまって15時から18時まで寝た。その後はまあまあ元気に過ごせていた。 キャラクターを考えるときに名前を考えるのが本当に困る。なんでもいいっちゃいいんだけど、深い意味を付与したいという気持ちもあり、いろいろアイデアを浮かべては没にしている。 『平家物語』(古川日出男訳)を読んでいる。おもしろい。 『自分をいかして生きる』(西村佳哲)を読んでいる。言わんとしていることを理解できているとは思うが、あまりに文章が下手すぎて読んでいて非常にイライラさせられる。大学1年生のレポートみたい。 『遠い太鼓』(村上春樹)を読んでいる。ギリシャとイタリアの滞在記。とてもおもしろい。村上春樹はやはり文章がうまい。個人的にはアメリカ滞在記『やがて哀しき外国語』のほうが好き。  『火星の女王』(小川哲)を読んでいる。読み始めたばかりでまだおもしろさがわからない。 『ストーンサークルの殺人』(M・W・クレイヴン)を読んでいる。ポーのキャラがいい。一気に心を掴まれた。停職の原因は裏があると思う。ティリーもいい。こういうキャラに憧れがある。自分があまりに不器用で要領が悪い人間なので、才能や個性に恵まれたキャラクターにある種のコンプレックスがあるのだろうと思う。

日記 2025/11/10

 天気:曇り メンタル:まあまあリズムができていてよいほう ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』はその99%が気持ち悪かった、という話は以前のブログで書いたが、唯一いいところもあった。それは、役所広司と三浦友和の対話のシーンでの影についてのやりとりだ。重なり合った影は濃くなるか、という話で、「濃くなってますか?」と訊ねる三浦友和に役所広司が「濃くなってますよ。濃くなってなきゃ変ですよ」というシーンだ(ふたりで街灯の下で実際に影を重ねてみる)。あそこだけはよいイメージとして妙に記憶に残っていて、日が経つにつれてもじわじわといいと感じる。役所広司の自分に言い聞かせているという感じがとてもいいのだ。実際に影が濃くなっているどうかは問題ではなくて、重要なのは「そうでなくっちゃ、やってられないですよ」というニュアンスで、その演技がいいのだ。 現実の生活でも「そうでなくてはやってられない」ことというのはいくらでもある。努力が実を結ぶとか、ちょっとくらいは報われたいということがいくらでもある。なぜなら、現実の多くのものごとはそうではないからだ。理不尽極まりないこの世界において、「重なり合った影は濃くなるかどうか」というのはそういう意味で「そうでなくてはやってられない」物事のひとつとしてなんか納得しちゃうのだった。

日記 2025/11/03

天気:晴れ メンタル:ちょっと落ち着いている 体調がよかったのもあって、読書に没頭できた。本1冊に丸一日没頭することができたというのはなんかいい体験だった。 一つのことに一日中没頭できるというのはちょっと自信が持てる。 人生という範囲では後先を考えない振る舞いはよくないけど、ある程度計画を組み立てた生活の中で、その日一日を後先考えずに没入し、とにかく今に集中するというのはとてもいい。 未来を考えずに済むという体験、未来を不安がらなくていい時間帯が一日の中で半日でも作れるととても気持ちよく清々しい。これがまさにマインドフルネスの目指す状態に近いのではないだろうか?  今に没入できていて、その外側には生活の計画がある。 つまり、完全な無軌道な行動ではないが、今この瞬間については自由に脱線が許される。習慣で生活リズムを作りつつ、習慣の行動だけに縛られるのではなく、ある程度の脱線を許していい状態を保持するというのがマインドフルネスって感じなのかもしれないと思った。それでよしとしていいのかはわからない。  

日記 2025/11/01

天気:晴れ メンタル:落ち着いてきたがきつい 資本主義に苦しめられている。 昨日見た『PERFECT DAYS』がいまだにつらい。醜悪だ。 Podcastをやってみようと思っている。数回試してみたい。試しにスマホのレコーダーに自分の声を録音して聞くと、聞き苦しくてとてもいたたまれない気持ちになるが、普段人と話さないからしゃべるのが当然へただしそれは仕方がない。話す練習のためにいいかもしれない。なにも話さないで一日が終わるよりはいいだろうと思う。

日記 2025/10/31 敬語が使えない老人のパーフェクト・デイズ。

天気:晴れ メンタル:昨日よりちょっと浮上 体調が上向いてきて、今日はプライムビデオで映像を見ていた。そのなかで悪い意味で印象にこびりついてしまったのが、ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』で、この作品が好きな人には本当に申し訳ないのだが、わたしには合わなかった。主人公が無理すぎるのと、東京でロケをしているのだが、本当にひどい描き方だと思った。東京都心部は見方によってはたしかにひどい街だと思うけど、その実態以上にひどいと思った。 突っ込みたいことはほかにもあり、20歳くらいの女の子が70歳くらいのおじいさんの頬にキスしたりなんかしない。 あと、これは本当に疑問なのだが、なぜこの世の高齢男性は敬語が使えないんですかね。70歳にもなる大人がなんで声を出して挨拶とお礼をしないんだろうか。それで意思疎通とれてるんだから他人がとやかく言うことでもないけどさ。この主人公も大人しそう、無害そうなだけで本質は巷にうじゃうじゃいる敬語の使えないとても傲慢な爺さんだ。 主人公は公共トイレの掃除を仕事にしているが、掃除をする前から掃除が必要がないくらいトイレがきれいすぎるのも違和感があった。黄ばみ、黒ずみのない公衆トイレ。あと、寡黙で仕事熱心な印象を持たせたいのかもしれないが、あんなに丁寧に時間をかけていちいち掃除をしているのに、利用者がいる間外で突っ立って用を足すのを待っているのも意味がわからない。ふつう、他の区画の掃除などをするなどで時間を使うと思うが。 私服もきれいすぎる。そもそも役所広司というキャスティングがきれいすぎる。役所広司が一番輝いていたのは、石川さゆりが店主をしている高級そうな居酒屋で酒を飲んでいるシーンだけだった。あそこはリッチだった。ビールのCMみたいで。 自認がスタイリッシュで寡黙な30歳くらい、のおじいさん。自分からは何もしていないし、非常に無愛想なのに好印象を与える。とくに異性に。そして、敬語が使えない。まるで村上春樹作品だ。『街とその不確かな壁』を実写にしたらこんな感じになりそうという話(村上春樹作品をきもちわるいとおもっているわけではない。村上春樹のいくつかの作品はわたしは好きである。きもちわるい作品もたしかにあるが…)。 姪がおじいさんの万年床で寝ないだろ、さすがに…。 物語の合間に挟まれるモノクロのカットはそれだけできれいなのだが、だったら...

日記 2025/10/27

天気:晴れ メンタル:まあまあよい ニュートラルで落ち着いている。 こういうニュートラルな状態で一日を始められていることを「よいこと」として捉えていくのがよいはずだ。ニュートラルな状態というのは具体的なプラスがあるわけではないけれども暮らしの中でニュートラルな状態を「よいこと」としてカウントすることが長期的にはプラスなことになるはずだ。 『マーダーボット・ダイアリー』(下)で、マーダーボットがいくつもの連ドラの1話の序盤をいくつか見て、おもしろそうなものだけをピックアップして見る、おもしろくなさそうなものは見ないという行為をしていて、当たり前の行為なんだけど、「そういうことってしていいんだ!?」という驚きと「そりゃそうだよな」という納得があり、おもしろかった。自分もそうしようと思う。アマプラの「Fallout」はグロいことをおもしろがれるタイプの人のためのドラマっぽいので1話の途中だけどやめた。 文章を書くときのおおまかな作業環境がどういう状態がいいのか模索中である。全然わからない。ただ文章を書くことのみに集中しようとすると、ソワソワして落ち着かないので、耳でなにかを聞いて置きたい。作業中はなにか音を流していたい。ラジオか、音楽か、Youtubeか、なんでもいいんだけど、聞いていたい。聞きながら書きたいという感覚はあるな。これというものがないのだった。確立していきたい。 関係ないけど貧乏揺すりをやめられない。

日記 2025/10/26 香山哲著『香山哲のプロジェクト発酵記』を読んだ感想。

天気:曇り メンタル:まあまあよい 香山哲著『香山哲のプロジェクト発酵記』(イースト・プレス、2022)を読んだ。 この本でおもしろいし特筆すべきだと思うのは「寿命」をきっちりと計算に入れてプロジェクトを計画していることだ。一般的な計画を立てることについての本のなかで、「なにかをするということはそれだけの『寿命』を不可避的、不可逆的に消費しているということなんですよ」と当たり前のことを書いている本はそうないのではないかと思う。当たり前すぎて書かれていないのかもしれない。でも、寿命があることを意識するというのは非常に重要なことだ。しかも普段はあまり意識していない。注意したいのは、「人生にはいつとも知れない終わりがあるから、衝動的、刹那的に今を精一杯生きよう」ということでは決してないということだ。むしろ、いろいろなことが起こり得るし長く生きる可能性があるがゆえに無理をしないために今を慎重に生きるとか慎重に計画を立てて後戻りができるようになろう、無理なく計画を遂行できるようにしようということが重視されている。 雑で勝手な要約を許していただければ「損切りを的確に早い段階でできるようになろう」ということではないかとも思う。もし、プロジェクトがスタートしてから「これはやめたい」と思ったとしても、損切りができないと「せっかく長い時間を書けて準備したから」、「せっかくお金を投資したから」、「人に手伝ってもらったから」などといった理由で「やめるにやめられない」という状況に陥るかもしれない。そうなってしまったら一番損害を被るのは自分の「寿命」だ。そのプロジェクト期間はずっとそのなにかのために楽しくない思いに耐え、なおかつ寿命まで不本意に使わなくてはならない。やる気もしだいに失せていく。 そういうことはもったいないのでまず第一に避けたい。そのためにそうならないよう考慮して計画を立てる。いつでも後戻りできるしやめてもいい、あるいはやめたいと思わないで済むような無理のない計画を立てる必要があるのだ。 読んでいてとても勉強になったし、今の自分にはできていないことだと感じた。この本をお供に自分にとっての「生きること」を計画してみたいと思った。

日記 2025/10/21

天気:曇り メンタル:やられている メモ:『ジョジョの奇妙な冒険』 第5部のアバッキオの同僚の警察官の言葉 同僚の警察官は事件の犯人の指紋が付着したと思われる空き瓶の破片を探すために割れた空き瓶を拾い集めていた。それに対して、アバッキオは無駄に終わるかもしれないのにどうしてそんな苦労をしょいこむのか、と訊ねる。それへの警察官の返答。 「そうだな……わたしは『結果』だけを求めてはいない」 「『結果』だけを求めていると人は近道をしたがるものだ…………近道した時真実を見失うかもしれない」 「やる気もしだいに失せていく」 「大切なのは『 真実に向かおうとする意志 』だと思っている」 「向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしてもいつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな………………違うかい?」(単行本59巻) ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風は、リゾットvs.ドッピオが好き。作家が読者の予想を超えるのがうまい特筆すべきエピソード。物語るのがうますぎる。持っている手札はすべて明らかにしつつ、読者の想定を超えるカードの切り方をするのではるかに想像を超えてくる(そのうえおもしろい)終わり方をする。シンプルなのにあっけないと思わせないところが好きである。    

日記 2025/10/20 「耐える」リソース

天気:曇り メンタル:ややネガティブ 仕事がないわけじゃないのに、仕事ができていないというのはいったいなんなのだろうか。私はなぜ働けないのだろうか。私はなぜこうも働きたくないのだろうか。これは一つの仮説なのだが、人生には有限のリソースというものがあり、普通の人生ではある程度生涯を通して、主に20代から50代、60代までをピークにしてその有限のリソースを消費する。だが、俺の場合、20代のはじめ、大学卒業まででこのリソースをほぼすべて使い果たしてしまった。 このリソースというのがなんのためのリソースかというと具体的には「我慢」とか「耐える」というリソースだ。未来のために「耐える」とか「今は我慢する」とか。そういう無意味だとか苦痛にとりあえず耐えるためのリソースだ。大学までが無意味だったとか苦痛だけの生活だったとは思わない。だけど、私の場合、自分がどうしたいかというより、自分がどうあるべきかということを優先してしまったがために、ずっと常に「耐え」がデフォルト状態になっていて、大学卒業と同時に爆発し、燃え尽きた。大学卒業までは、大学を卒業するという生きる目的(「大学を卒業するべき」)があったが、働くとなると、キリがない。終わりがない。なんのために働くのか? そこでようやく私は自分の中に主体性(「自分はどうしたいのか?」)というものの存在感が薄いということに気がついたのだった。 大学の頃と比べるととくに顕著だが、22歳の頃に比べ、33歳の今の方がよっぽど無意味(と思えるもの)や苦痛(が予期されるもの)に耐えられなくなってきている。その予兆が感じられる時点でもうやりたくない。虚弱になったのかもしれないし、単に老いたのかもしれない。一切興味の湧かないものに対して「とりあえず我慢して頑張ってみよう」というスタンスをとるのが無理になった。学生時代は余裕でできていたのに。 働くことが無意味だとか苦痛だとか言いたいわけでもない。もちろん、労働にそういう側面があることは否定しないけど、それだけではないはずだ。突き詰めれば私にとって「なんのために働くのか」という理由が見つけられていないのだ。大学卒業とともに私の人生は一度爆発し燃え尽きて終わった。だから私は今人生が終わったあとを生きている。目的もなく生きている。なんとなく生きているっぽく生きているだけである。そこにはなにもない。欲がない。虚無...

日記 2025/10/19

天気:晴れ メンタル:落ち着いている 今週で一番体調がいいかもしれない。精神的な不安は残るけど。働きたくないな。きつい仕事をしていたくない。生きることが、ずっと続けてたら体を壊すような仕事を無理にでも続けることなのだとしたら、そして、無理をしなければ生存ギリギリすら維持できないのであれば、それは社会が壊れているのではないだろうか? フルタイムが無理ならば、ほかにどういう働き方ならできるか? 具体的に考えてみよう。どんな働き方ならばできるか。自分が鬱状態だったり、常にきつい仕事ならば週3日程度でしか働けない気がしている。自分の体調がいいとか、身体的に楽な仕事であればフルタイムでもできるかもしれない。仕事をするからにはきつい仕事に耐えなくちゃならないと思っていたが楽な仕事でよくないか? それは自分にとって楽な仕事ということだ。きつい仕事ができないからといって、自分が劣っているだとか思わなくてもよいのだ。