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自己否定をやめる100日、7日目

  天気:晴れ 精神:若干踏ん張っている。 踏ん張っているというのは、ちょっと無理をしているということ。無理のない範囲で無理をしている。元気の前借りとも言う。 アニポケ75話を見た。オリーヴァがでかい。色違いジガルデが今後配布されないかなあと期待している。できれば、入手しやすい形で。 ダンダダン9話を見た。オカルン、桃、アイラの共闘、セルポ星人、シャコ、ネッシーの共闘、それぞれの共闘があつい。既出の情報の組み合わせで予想から外れる展開が生まれてくるのがおもしろい。OPのメインキャラにもう一人未登場の男の子がいるから今後出てくるんだろうな。 オリエント急行殺人事件を見た。何もかもがつながっていって、陰謀論のように見事にくっきり一つの真実を作り上げる。ポアロは現代にいたら、どうだろうか。ディープステートとか信じるタイプになってるだろうか。 オーシャンズ8を見たときも思ったが、フィクション的なご都合主義と登場人物たちにとって都合がいいのは、区別したほうがいいと思った。あまりに登場人物に都合が良すぎる展開は、フィクションという言い訳の限度を超えてしまうと、「こんなのありえないでしょ」という気持ちがまさってくる。オリエント急行の場合は、トリックがまるでポアロが都合がいいように事実を歪めて解釈した陰謀論かのようにきれいすぎるし、オーシャンズ8の場合、嵌める相手のふところにでかいダイヤモンドを忍ばせて、本人に見つからないのはライン越えだと思う。あれ、結局ダフネがベッカーの家に行くんだからそのときもっていけばいいだけでは。警察に見つけさせるならまだしも。あと、オーシャンズ9にして、曲芸師の男も女のキャストにしたほうが良かったと思う。あいつタダ働きではないと思うけど。総じておもしろかった。 夜がぐだったな。疲れが出た。気が散ってもいた。時間の無駄な感じの使い方になってしまった。毎日スケジュール通りに過ごせるわけじゃないから直そうとか思う必要はない。そういう日もあるよね~くらいにしたい。

自己否定をやめる100日、6日目

  現実:晴れ 精神:霧 霧というのは自分の中での鬱状態のイメージだ。湿気がべっとりと重たく体にまとわりつく感じ。視界も真っ白で悪くて。 体調がよくない。自己否定をちょっとしていると思う。朝の8時まで10時間寝たが、今13時までずっとうっすら眠気がある。体が重たい。あと、午前中は本を読んでいたが、決してつまらないわけではないが集中力が続かない。ふと紙面から顔を上げ、なぜこんな無益なことをしているのだろうという虚しさに襲われる。読書は無益ではないのだが、自己否定の精神状態がそう思わせるのだろう。何もせず休むか。布団に入って眠りたいがもったいないよなあ。でも、我慢もできないな。 昨日、今日と、夜寝ている間ずっとうるさい夢を見ている。それがとても騒々しくて疲れる。まったく眠った気がしない。ぐっすり眠ったという感じがないのだ。 今、16時半。結局13時から今まで寝ていた。眠気はスッキリした。相変わらず夢を見た。溶き卵を何度も飲みながら、相撲の研究をする夢だった。じわっと足が重だるい。でもとにかく眠気は消えたからよかった。 寝ているまどろみの中で自分の中のさびしさについて考えてみたがよくわからなかった。さびしさはきっとあるだろうけど、これだというものがわからない。むしろ、虚しさを感じる。坂口恭平氏にとってのさびしさは、私にとっての虚しさということかもしれない。戦う相手を見定めたい。 虚しさについての深堀りはしていったほうがいいなと思う。この感情はいったい何なのか。鬱と虚しさ。鬱状態ほど苦しくはないが、軽い鬱に伴うあらゆることが無駄に思えるこの虚しさはいったいどこからやってくるのか。習慣がなかなか続かない。習慣づけができないのもこの虚しさが伴っていると思う。「どうせできない」みたいな気持ちだ。で、できなくて「ほら見ろ、やっぱりできなかった!」と脳内で何かが喚いて騒いでいる。小バエみたいなやつ。私の失敗を自慢気な顔で誇らしげにしている。という感じ。これは何なのか。 今日できたこと:スマホの画像整理、体調管理、あまり自己嫌悪しなかった(So it goes.)。

自己否定をやめる100日、5日目

現実:晴れ 精神:晴れ 自己否定はしていない。今日は動物園に行った。虎とライオンがよかった。どちらも丸まって寝ていた。1/3ほど園内を歩いたところで疲れた感じがあったので無理をしないように引き返し帰宅した。無理をしていないつもりだったが帰宅して1時間ほどはそれでもグダグダとだらけて何もしなかった。まあ、それもよし。今日は、あとは途中のオーシャンズ8をちょっと観ようかな。 『自己否定をやめるための100日間ドリル』(坂口恭平、アノニマ・スタジオ)を引き続き読んでいる。自己否定とはなにかという始まりからさびしさに行き着いた。幼年期のさびしさを癒やすことで現在を回復させるというのはなんかすごいね。読み終えて、ちょっと泣きそうになった。泣いてはいないが、心では泣いた。これはマインドフルネスについてのガイドというだけでなく、坂口恭平氏の私小説であると思った。カタルシスがあった。自己否定、その葛藤の根源にあるもの、幼年期の自分のさびしさについての話のくだりは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』で謎の電話の女こそクミコだったと明かされるときくらい衝撃的で気持ちが良かった。感動した。 ・よかったところの要点 自分の中の原初的なさびしさを思い出してみよう。 幼年期の自分に会いに行く。 幼年期の自分の言い分・わがままに付き合う。 お風呂に入る。 なんでもやってあげるから、なんでも言っていいよ。 自己否定しそうなとき、他人にイライラするときはさびしさを感じているときだから、いったん一人になる。一人になって幼年期の自分と向き合う。 ひるがえって、一人でいる時間とはつまり、幼年期の自分と過ごす時間だ。 3月のライオンの5巻の最後みたいだな。カタルシスがある。 虚しさとさびしさは関係あるだろうか。同じものだろうか。つながりはあるだろうか。 私は二人いる。一人でいるときはつまり二人きりでいるときだ。 自分との対話をしていく。

自己否定をやめる100日、4日目

  現実:晴れ 精神:曇りのち晴れ 今日、本を読んでいて思ったが、うつ状態のときの何をやっても虚しい感じは、決してやる気がないわけではないということ。やる気があるという状態の反対側に虚しさがあるわけではない。虚しいときはそこには「虚しさ」があり、「やる気」とか「元気」を上書きしている。この「虚しさ」からそっと離れる逃避が必要だ。遠ざかることで影響力が下がるタイプの怪異だと思うことにする。とにかく言及せず、離れる。「例のあの人」みたいな感じ。 今日は午前は調子が悪かったが、午後は本が読めたので余裕でアンダーパーだ。水を飲むように、本を読んだ。コーラでもビールでもなく水を飲むような読書ができた。精神がとても落ち着いていたように思う。体調不良の直後は精神的にもイライラすることが多く気が散ってしまって余計に状況を悪化させることがあるが、今日はイライラせずに、「そんなものだろうな」とただ事実として受け止め、それはそれとして、くよくよせずに午後を過ごせたのでよかった。諦念とも違う。希望はある。 あと、あんまり計画的に生きるのは息苦しいし、計画を立てるのもできないし、向いてないと思うから(どうしても無理をしてしまう/完璧主義の発動)、ある程度のいきあたりばったりを自分に許そうと思う。そのほうが人生の冒険感も高まっていいのではないでしょうか。シングルタスク人間だし。シングルタスク人生、バンザイ。 オーシャンズ8を観た。途中で疲れてダウンした。明日続きを観よう。

自己否定をやめる100日、3日目

 午前中本を読み、午後いっぱい部屋の掃除をして4時ごろにダウンした。とても疲れた。なにか読書以外のことをしたいがあんまり何もしたくない。映画、ノー。ゲーム、ノー。やればやれるだろうけど楽しくないだろうし、すぐ飽きちゃうだろうし。 でもなにかやりたいと思い、1時間だけ映画を観ることにした。『ジョン・ウィック:チャプター2』を観る。精神的に自己否定をしている感じではないのだが、曖昧ななんとも判断を決めかねている感じ。決めきれない。決断できない。疲れた感じがする。でも本来あんまりこういうなにかができないとか疲れたとか言わないほうがいいだろうな。ただそっとしておく。言わずに黙っておく。思っても、礼をしてそっと離れる。思っても具体的に書かない。自己否定的な思念がありましたとだけその日の日記にレポートをする。具体的には触れないことでそういったマイナスの思念も忘れていくことだろう。悪いことは忘れる。いいこと、よかったことだけ覚えていよう。良かったことを書き続けることで、そのうち良かったことがタトゥーのように青く深く刻み込まれていくだろう。ハリー・ポッターが五年生の頃あたりに罰として文章を書いて、その文章がタトゥーのように魔法で皮膚に刻み込まれていくように。俺の場合はいいこと、よかったことがタトゥーみたいに刻まれていく。という体でやっていきたい。という体で。とにかくやっていくしかない。いや、「とにかくやっていくしかない」という言い方は退路を断つ感じでよくないかも。いくつもある道の中で何か一つをやっていくしかないという感じではなく、選んでいく感じだろうな。いいところを選んでいく。ゆらゆらとやっていきもする。生きていくしかない、ではなく毎日その都度やっていく。選んでいく。ニュートラルにやっていく。のんびりと。まあ、わからない。 『ジョン・ウィック:チャプター2』を観ていて思ったが血は苦手だ。見ただけで貧血のような感じになる。意識がうっすら遠のき、耳の奥で炭酸が弾けるようなノイズが鳴り出す。座っていられなくなり、ベッドに横になる。今は横になってかろうじてぼんやり書いている。具合が悪くなったのでジョン・ウィックは中断。体調の悪さにそっと礼をして離れる。以前、『父を撃った12の銃弾』という本を読んだときもあるシーンで貧血になった。その時は廊下で倒れてしばらく動けなかったが、今回は予兆...

自己否定をやめる100日、2日目

 朝10時に起きて、引き続き『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読む。こんなことを言うと失礼かもしれないが、坂口恭平氏ですらくよくよした時期というのがあるのだと日記を読んでいると思う。それは坂口恭平氏ですらくよくよするのだから、私なんてなおさらくよくよしてもおかしくないだろうという気持ちにさせ、励まされる。くよくよしてもいい。自己否定をやめるためには自己否定する自分すらも肯定するのだ。ある行動がやりたいかどうか、正しいかどうか、いくつかの基準でそれをするかどうか迷ったときに、ためらったら、本当にそれがしたいのか吟味するようにしたい。今日だと、私はポケモンが好きなのだが、今ポケモンはゲームのイベントをやっていて、商品を買うと幻のポケモンが手に入れられるのだが、それを買うかどうか今日はためらって結局やめた。なんというかコンプリート主義というか、収集欲であって、別にそのものが欲しいわけではないんだと思ったのでやめた。購入に必要な金額だけで考えれば大した額じゃないし別に買ってもいいんだけど、買って得たときの(これはうまく説明できないけど)よくない興奮、バッドな興奮みたいなものが脳内に出るのが、マイナスだと思った。得るものと失うものを考えたときに、失うもののほうがでかい。バッドな興奮は言い換えれば、自傷的な気持ちよさなのだ。それは気持ちいいんだけど、自傷の痛みに対するアドレナリンが全身に噴出する感じで、一時的には気持ちいいのだが、あとあと痛みが残る。散財の失敗は幾度かしてきた経験上、さすがに失敗から学びたい。この痛みは、痛いだけじゃなくて虚しさを伴う。この虚しさは結局のところ鬱に近い気持ちにさせる。無力感を感じる。だから、まあ結果的に買わないことにして正解だったと思う。今日はそれができたことだ。あと、昨日と今日に分けて『トップガンマーヴェリック』を観た。こういう役は日本だとキムタクがやりそうだと思った。『トップガン』単体でもいい映画だったが、2作観ると深みが増した。これは時間経過と世代を超えたつながり、関係性の妙、脚本がよかった。脚本に関しては前作よりはるかに今作のほうが好みだと思った。自分もこういう脚本が書けるようになりたい。今はポツポツとアイデアを思い浮かべては泡のように虚空にはじけて消えているので、なんとか形にできるようになりたい。まあ、それもこれからや...

自己否定をやめる100日、1日目

 『自己否定をやめるための100日間ドリル』(坂口恭平、アノニマ・スタジオ)という本を今読んでいる。それで、自分も双極症だし、ちょっと似た症状もあるし、これから良くなっていきたいし、自分も坂口恭平を見習って、というか私淑して、こういうふうに日記をつけることにした。上記の本の中ほどに「自己否定をやめる100日」と題した坂口本人による日記が挿入されており、本人の実践が読める。こうしてここに書きつけることで、私もなんとかやっていきたい。実は昨日から日記をつけ始めているので、今日は2日目である。昨日から100日後は来年の3月2日なので、それまでなんとか続けてみたいと思う。坂口恭平は95日で終えている。だからまあ、100日かからずに体調が良くなるかもしれないし、100日で済まないこともあるだろうから気長にやってみたい。 今の状況について書いておこう。今の私は、10月で仕事を退職したので無職である。双極症の鬱状態が悪化して退職した。しばらくは無職のままぶらぶらしていようと思っていて、それでいい機会だと思ってこうして日記をつけることにした。体調は身体的には元気な日と不調な日のムラがある。日によっては日中起きているのがきつくて寝ている日も最近は多い。夜8時間、昼間6時間くらい寝ているときもある。今は、眠りまくりのこの状態にものすごくイライラしており、焦っているのだが、焦らないようになりたいと思っている。もちろん、夜にしっかり眠れて、昼間は眠くならずに活動的になれるのがいい。最終的な目標はそこだと思う。 坂口恭平氏によれば、体調がいいときに心のなかで「もっとできる」「もっと頑張らなきゃ」という気持ちになるのも自己否定の形であるという。そのとおりだと思う。確かに、働いていたときも私は「早く仕事がもっとできるようにならなくてはいけない」「このままでは全然役に立っていない」という焦燥感で常に満ちており、不安でいっぱいだった。まずはこういった思考を発動させない、気にしないことだと思った。 ところで、今日も相変わらず日中6時間寝てしまった。だが、別にいいのだと思うこととする。もちろん改善したいとは思っているが、眠かったのだから、それをなんで起きていられないんだとイライラしても仕方がない。今は、脳みその代わりに頭の中に灰色の粘土が詰まっているかのような感じで、何もやりたいという気持ちがな...