自己否定をやめる100日、3日目
午前中本を読み、午後いっぱい部屋の掃除をして4時ごろにダウンした。とても疲れた。なにか読書以外のことをしたいがあんまり何もしたくない。映画、ノー。ゲーム、ノー。やればやれるだろうけど楽しくないだろうし、すぐ飽きちゃうだろうし。
でもなにかやりたいと思い、1時間だけ映画を観ることにした。『ジョン・ウィック:チャプター2』を観る。精神的に自己否定をしている感じではないのだが、曖昧ななんとも判断を決めかねている感じ。決めきれない。決断できない。疲れた感じがする。でも本来あんまりこういうなにかができないとか疲れたとか言わないほうがいいだろうな。ただそっとしておく。言わずに黙っておく。思っても、礼をしてそっと離れる。思っても具体的に書かない。自己否定的な思念がありましたとだけその日の日記にレポートをする。具体的には触れないことでそういったマイナスの思念も忘れていくことだろう。悪いことは忘れる。いいこと、よかったことだけ覚えていよう。良かったことを書き続けることで、そのうち良かったことがタトゥーのように青く深く刻み込まれていくだろう。ハリー・ポッターが五年生の頃あたりに罰として文章を書いて、その文章がタトゥーのように魔法で皮膚に刻み込まれていくように。俺の場合はいいこと、よかったことがタトゥーみたいに刻まれていく。という体でやっていきたい。という体で。とにかくやっていくしかない。いや、「とにかくやっていくしかない」という言い方は退路を断つ感じでよくないかも。いくつもある道の中で何か一つをやっていくしかないという感じではなく、選んでいく感じだろうな。いいところを選んでいく。ゆらゆらとやっていきもする。生きていくしかない、ではなく毎日その都度やっていく。選んでいく。ニュートラルにやっていく。のんびりと。まあ、わからない。
『ジョン・ウィック:チャプター2』を観ていて思ったが血は苦手だ。見ただけで貧血のような感じになる。意識がうっすら遠のき、耳の奥で炭酸が弾けるようなノイズが鳴り出す。座っていられなくなり、ベッドに横になる。今は横になってかろうじてぼんやり書いている。具合が悪くなったのでジョン・ウィックは中断。体調の悪さにそっと礼をして離れる。以前、『父を撃った12の銃弾』という本を読んだときもあるシーンで貧血になった。その時は廊下で倒れてしばらく動けなかったが、今回は予兆を察知できたので悪化する前に避難できた。これは今日できたこと、よかったことだ。
30分横になっていたら、体調が戻ってきた。夕食を食べる。
ジョン・ウィックを再開した。チャプター2より第1作のほうがシリアスできれいに終わっていた。終わり方としてチャプター2もいいけど。犬が楽しそうに走ってるのはなによりである。
寝よ。