自己否定をやめる100日、2日目
朝10時に起きて、引き続き『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読む。こんなことを言うと失礼かもしれないが、坂口恭平氏ですらくよくよした時期というのがあるのだと日記を読んでいると思う。それは坂口恭平氏ですらくよくよするのだから、私なんてなおさらくよくよしてもおかしくないだろうという気持ちにさせ、励まされる。くよくよしてもいい。自己否定をやめるためには自己否定する自分すらも肯定するのだ。ある行動がやりたいかどうか、正しいかどうか、いくつかの基準でそれをするかどうか迷ったときに、ためらったら、本当にそれがしたいのか吟味するようにしたい。今日だと、私はポケモンが好きなのだが、今ポケモンはゲームのイベントをやっていて、商品を買うと幻のポケモンが手に入れられるのだが、それを買うかどうか今日はためらって結局やめた。なんというかコンプリート主義というか、収集欲であって、別にそのものが欲しいわけではないんだと思ったのでやめた。購入に必要な金額だけで考えれば大した額じゃないし別に買ってもいいんだけど、買って得たときの(これはうまく説明できないけど)よくない興奮、バッドな興奮みたいなものが脳内に出るのが、マイナスだと思った。得るものと失うものを考えたときに、失うもののほうがでかい。バッドな興奮は言い換えれば、自傷的な気持ちよさなのだ。それは気持ちいいんだけど、自傷の痛みに対するアドレナリンが全身に噴出する感じで、一時的には気持ちいいのだが、あとあと痛みが残る。散財の失敗は幾度かしてきた経験上、さすがに失敗から学びたい。この痛みは、痛いだけじゃなくて虚しさを伴う。この虚しさは結局のところ鬱に近い気持ちにさせる。無力感を感じる。だから、まあ結果的に買わないことにして正解だったと思う。今日はそれができたことだ。あと、昨日と今日に分けて『トップガンマーヴェリック』を観た。こういう役は日本だとキムタクがやりそうだと思った。『トップガン』単体でもいい映画だったが、2作観ると深みが増した。これは時間経過と世代を超えたつながり、関係性の妙、脚本がよかった。脚本に関しては前作よりはるかに今作のほうが好みだと思った。自分もこういう脚本が書けるようになりたい。今はポツポツとアイデアを思い浮かべては泡のように虚空にはじけて消えているので、なんとか形にできるようになりたい。まあ、それもこれからやりたいことのひとつだ。あと、散歩をした。家から出るのは2日ぶりくらいだ。散歩してTSUTAYAに寄って、『恐怖を失った男』(M・W・クレイヴン)と『ネット怪談の民俗学』(廣田龍平)を買って帰ってきた。11月とは思えない暖かさだった。セルフレジで会計を済ませていたら、隣のセルフレジでおじいさんが手こずっていたので、手を貸そうかとちらっと見たが、R18っぽいレンタルDVDだったので、躊躇して(相手も他人に見られたくないかもしれないと思った)結局声をかけなかった。散歩中はヘッドホンで米津玄師『LOST CORNER』を聞きながら歩いた。何度聞いても傑作だと思う。マルゲリータがいい。甚だXOXO。歩いていて夏頃より川の水が流れが速くなった気がした。気のせいだと思う。ひとまず落ち着いて生活できている。小説を書きたいし、アイデアを思いついてちょっとワクワクした。