自己否定をやめる100日、5日目
現実:晴れ
精神:晴れ
自己否定はしていない。今日は動物園に行った。虎とライオンがよかった。どちらも丸まって寝ていた。1/3ほど園内を歩いたところで疲れた感じがあったので無理をしないように引き返し帰宅した。無理をしていないつもりだったが帰宅して1時間ほどはそれでもグダグダとだらけて何もしなかった。まあ、それもよし。今日は、あとは途中のオーシャンズ8をちょっと観ようかな。
『自己否定をやめるための100日間ドリル』(坂口恭平、アノニマ・スタジオ)を引き続き読んでいる。自己否定とはなにかという始まりからさびしさに行き着いた。幼年期のさびしさを癒やすことで現在を回復させるというのはなんかすごいね。読み終えて、ちょっと泣きそうになった。泣いてはいないが、心では泣いた。これはマインドフルネスについてのガイドというだけでなく、坂口恭平氏の私小説であると思った。カタルシスがあった。自己否定、その葛藤の根源にあるもの、幼年期の自分のさびしさについての話のくだりは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』で謎の電話の女こそクミコだったと明かされるときくらい衝撃的で気持ちが良かった。感動した。
・よかったところの要点
自分の中の原初的なさびしさを思い出してみよう。
幼年期の自分に会いに行く。
幼年期の自分の言い分・わがままに付き合う。
お風呂に入る。
なんでもやってあげるから、なんでも言っていいよ。
自己否定しそうなとき、他人にイライラするときはさびしさを感じているときだから、いったん一人になる。一人になって幼年期の自分と向き合う。
ひるがえって、一人でいる時間とはつまり、幼年期の自分と過ごす時間だ。
3月のライオンの5巻の最後みたいだな。カタルシスがある。
虚しさとさびしさは関係あるだろうか。同じものだろうか。つながりはあるだろうか。
私は二人いる。一人でいるときはつまり二人きりでいるときだ。
自分との対話をしていく。