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日記 2025/01/31

天気:晴れ メンタル:悪くない 「私たちの芸術の旅路は、まわりに十分与えられるだけの力を自分がすでにもっているのだと納得し、それがなんなのか突きとめ、それを洗練させていくプロセスだと考えられる」(『ソーンダーズ先生の小説教室』p.227、フィルムアート社) 自分なんかが小説なんて書けるわけがないとつくづく思っている。書き始めてもうまくいかない。書き進められない。でも、それはインプットが不足しているからではない。アウトプットが下手なだけだ。肝心なのは「まわりに十分与えられるだけの力を自分がすでにもっている」ことに気がつくことだ。私はすでにもっているのだ。というか、すでにもっているもので書き始めるほかないのだ。これだけあれば、書けるという力の基準はない。あったとしても、その力を養うためには読むだけでなく、同時に書かなくてはならない。書くことでしか、書くことは上達しないだろうからだ。なにより、書けば書いた分の成果物は残るわけだし。でも、苦しいものは苦しいです…。 映画『テネット』でニールがリュックにつけていたストラップを再現したくて、Youtubeの動画を参考に自作した。ホームセンターで丸ワッシャー(穴の広めの5円玉みたいなもの。ステンレス製)と紐を買ってきて、穴に紐を通して、リュックサックに結びつけたら完成。いい感じのお守りだ。自作したという思い出込みなのでいい魔除けになりそうだ。総製作費は180円くらいなのでニールが好きな人はおすすめです。

日記 2025/01/30

天気:晴れ メンタル:すこし回復 引き続きTODOリストでやることを管理してるが、TODOリストがないのも困ってしまうが、旧来の作り方だとストレスを抱えてしまっていた。そこで、TODOリストのノルマの達成ラインを変更することにした。本だったら最低1ページ(1ページ読んだらその日はもう読まない、もちろん読んでもいい)、アニメなら1話、映画なら30分など、低めに設定することでTODOリストが達成できないストレスをなくした。これで気持ちがいくらか楽になったので、明日もこの感じでやっていきたい。日々、実験なのだ。文章は、理想の自分はもっと書けたらいいと思っている。1日3~4時間くらい文章に費やせたらいいが、実際は体調が悪かったりしてコンスタントにはできないので、今日とかもこの日記を書けたらもう文章はヨシとしたい。

日記 2025/01/28

天気:晴れ メンタル:ガタ落ち 昨日までの穏やかな春風のような好調さが嘘のように、体調が悪かった。雪解けによって沼ができ、それにはまってしまったかのようだ。朝8時に起きたとき、鬱が発動してしまい、起きてどうするんだという無意味さを感じてしまい、体を起き上がらせられなかった。12時になんとか起きたが、一日ずっと眠かった。こういう原因のはっきりわからない鬱への転落はなんとも悩ましい。解決のしようがないので落ち着くのを待つしかない。 TODOリストを作成して一日にやることを決めて、こなしていくようにすると何をするか悩んで時間を無駄にすることがなくていいのだが、ギチギチにやることを固めすぎると、労働している感じが出てきて、時間と効果、得られた結果、採算を考えてしまってきつくなる。なので、量に関しては最低限これだけ、と下限を設けることでそれを達成したらオーケーということにしたい。 あと、スマホからアプリを山ほど削除した。スマホを中毒の対象から道具に引きずり下ろす。なるべく使わないで済むように過ごしたい。SNSはPCから見ればよく、わざわざ電車の中で見る必要もないわけだし。 SNSもほどほどにしたい。目がつかれてしまうため。それに、SNSを見終えたあとって、SNSで見た投稿のことを何一つ覚えていないことのほうが多く、単純に時間の消費をしただけという結果だけがあるのだった。SNSで情報においていかれる感覚をFOMOというそうだ。フィアー・オブ・ミッシング・アウト。まやかしなので気にしないことだ。自分にとって本当に重要なことはまたどこかで必ず出会うさ、という気持ちで前向きに無視していきたい。 本を読め。本を。 そういえば、『地雷グリコ』めっちゃおもしろかった。すごすぎる小説だ。

日記 2025/01/26

天気:晴れ メンタル:どこか他人事 鬱ってほどじゃないのだが、ちょっとぼーっとしている。どこか他人事って感じで。大変だ。時間が過ぎていくぞ。でも、やる気がないわけではない。むしろ、いろいろなことがやりたすぎて、どれから手を付ければいいのかわからない。TODOリストをこなしていくことはできるのでいい感じではある。しかし、自分の中には「まだまだできる、もっとできる」という欲張りな感覚があり、実際、時間も持て余しているので、何かをしないともったいないのだった。とはいえ、今の時期は脳を休息させている身なのだと考えると、こういうだらっとした時間の過ごし方もそれはそれでいいだろうと思う。 受験生時代のとき5教科7科目をうまく勉強していくのが、当時本当に苦手だった。それを克服しないまま大人になってしまったツケを今払わされているかのようだ。とても苦しい。締め切りに追われているわけでもないのに焦りがやめられない。焦燥感が常に気持ちのそばにあり、ゴールドタイガーよろしく、私のことをずっと見ている。うまくいくときは、そのゴールドタイガーもどきに布を覆いかぶせて視界を遮り、自分自身に集中できる。没頭できるのだが、うまくいかない日もあるのだった。そうなると、とても気が散ってしまう。何をしても、別のことが気になってしまう。別のことを始めると、元にやっていたことが気になる。もっとやればよかったと思うのだ。それで、やったりやらなかったり繰り返していると、第三のやりたいことが浮上してきたりして、ついにすることを選べなくなって思考が停止する。そういうときは気持ちを切り替えるためにコーヒーを飲んだりする。自分のことではあるが、やはりどこか他人事のように自分を眺める。テレビのニュースがなにかの事件を伝えるのを見るときのように、「ああ、なんてことだ。大変だ…」と思ったりする。客観視できることは大事だが、コーヒーを飲んで落ち着いている間にも時間は過ぎていくし、一日は終わっていく。まあ、コーヒーを飲むくらいしかできないときもあるのだ。解決を、時間が過ぎていくのに委ねるしかないときもある。 最近、ようやく、本当にようやく、元の職場のくそったれ上司が夢に出てこなくなり、すっかり忘れてしまっている時間が増えてきている。今までは暇があると、ふと思い出しては怒りと憎しみが湧いてしまい、心が燃えていたが、今はあまりそうした...

日記 2025/01/25

天気:晴れ メンタル:あくびがち 月曜によく眠れず、火曜の日中が眠いけど眠れなくてとても疲れた。体調も悪かった。ここ最近は9-12時間くらい一晩に眠っていて、むしろこれくらい眠らないと翌日を体調良く過ごせないのだった。体調の最低条件。困っちゃうよね。タハー。 青崎有吾『地雷グリコ』を読み始めた。頭脳戦の駆け引きがめっちゃおもしろい。あと、青崎作品のキャラ造形はいつもうまいと感じる。天才を書くのがうまい。 『マルホランド・ドライブ』を観た。シークエンスの繋がり方が夢の辻褄という感じだった。 『ジョジョの奇妙な冒険』シーズン2「スターダストクルセイダース」を観始めた。読んだことはあるがぜんぜん覚えていなかったので、新鮮だ。ジョセフの念写が能力として地味だったけど、老いたとはいえ、スタンドに頼らずとも波紋が使えるなら強いよね。 機動戦士Gundam GQuuuuuuXをまた観たい。マチュがすごいよね。とても引き込まれる。あと、午前中に映画を見るとその日、一日うまくいく感じがする。朝映画はとても気持ちがいい。

日記 2025/01/20

天気:晴れ メンタル:アポリア 短編を一つ書いてボツにした。途中、書きあぐねたときに自分の気持ちを掘り下げるように参照したら、鬱の精神が出てきて主人公も鬱になってしまって生きる希望を諦めかけてしまったからだ。このままだと勝手に死にかねないと思ったので、ドクターストップをかけた。小説の創作指南書やインタビューなんかでキャラが勝手に動き始めるという趣旨のことを小説家が言うことがあるけど、逆にコントロールできてしまうのはまずいのだ。勝手に動き始めるというより、書き手の手綱を離れ、アンコントローラブルになってしまうということなのだと思う。 小説を書く自分がカメラだとすると、現実世界をカメラで撮ったとして、現像された写真=小説は、あくまでナチュラルな説得力があるべきだ。ブランコを撮ったら、写真はブランコを元にしたものかその変奏であるはずで、ブランコは写っておらずメガネが写っていたら意味がわかんない。でも、小説を書く自分のわがままが書いている小説に介入すると、往々にして、ブランコを撮ったのに、メガネやら水たまりやらセーターやら全くべつのものが写ってしまう。場合によっては、何を撮っても現像されたものがメガネばかりということになりうるのだ(私の場合、何を書いても主人公が結局最後に鬱になって生きるのを諦めてしまう)。それは説得力に欠ける。

日記 2025/01/19

天気:晴れ メンタル:地獄でなぜ悪い 文章を書いた。書き始めた。トータルで3時間くらい書いていた。細切れに。まあ、ぬるっと書き始めただけで、物語世界を構築させられているわけではない。やりたいことができないのは困っちゃうよね。タハー。 文章を書いていたのは、特に他に何もしたいことがないからだった。小説を読むのも、映画を観るのも、ゲームも外出も今はちょっといいや、となった結果、一番やって後悔しなさそうなことが文章を書くことだったので、とにかく書いていた。書くということにモチベーションがあるってほどでもないが、していて一番正しいことをしている気がする。本当に一番は、働けていたほうがいいのだが、働くことを考えると落ち込んでくるので、あまり考えないようにしている。働きたくないよ。私は社員というものに全くもって向いていない。なので、やはり書くということが一番しっくりくる正しいことって感じなのだった。書いていると、いろいろ思いつく。思っていなかったことまで急に思いつく。それはまあ楽しい。ちょっと楽しい。つらくはない。誰に怒鳴られるわけでもないし。迷惑もかけないし。書いているものは、このブログを除いて誰にも見せないので責任もない。 本当はもっと書くということが深堀りされていって、物語が書けるといいんだけど、うまく展開していかない。ふわっと「こんなキャラ」みたいなのは思う。でも、それだけ。もっと具体的に書いていく必要がある。あるシチュエーションに対して、そのキャラがどういう振る舞いをするのかが書ければいいのかなと思うが、現状はなかなかうまく進められていない。 ノートにカクノで書いている。手書きのいいところは、いろいろな漢字の書き方が覚えられること。雰囲気で覚えていた漢字。読めるけど書けない漢字を書けるようになる。たとえば、牽制。あと、手元に国語辞典を置いて、いちいち意味を確認するようにしている。今日知ったのは、破天荒。ただ大胆で豪快な性格を表すというときに用いるのは厳密には誤用らしいです。 人と話したい。退職して、元来友達もいないから、本当に話さない。実家にいるので親とだけ。でも、親とジョジョの話をしないし、GQuuuuuuXの話もしない。もっと関係のない人と話したい。だらだら話したい。話さないのがきついってほどではないけど、これが寂しいって感情なのか…としみじみ感じている。Blue...