日記 2025/01/26
天気:晴れ
メンタル:どこか他人事
鬱ってほどじゃないのだが、ちょっとぼーっとしている。どこか他人事って感じで。大変だ。時間が過ぎていくぞ。でも、やる気がないわけではない。むしろ、いろいろなことがやりたすぎて、どれから手を付ければいいのかわからない。TODOリストをこなしていくことはできるのでいい感じではある。しかし、自分の中には「まだまだできる、もっとできる」という欲張りな感覚があり、実際、時間も持て余しているので、何かをしないともったいないのだった。とはいえ、今の時期は脳を休息させている身なのだと考えると、こういうだらっとした時間の過ごし方もそれはそれでいいだろうと思う。
受験生時代のとき5教科7科目をうまく勉強していくのが、当時本当に苦手だった。それを克服しないまま大人になってしまったツケを今払わされているかのようだ。とても苦しい。締め切りに追われているわけでもないのに焦りがやめられない。焦燥感が常に気持ちのそばにあり、ゴールドタイガーよろしく、私のことをずっと見ている。うまくいくときは、そのゴールドタイガーもどきに布を覆いかぶせて視界を遮り、自分自身に集中できる。没頭できるのだが、うまくいかない日もあるのだった。そうなると、とても気が散ってしまう。何をしても、別のことが気になってしまう。別のことを始めると、元にやっていたことが気になる。もっとやればよかったと思うのだ。それで、やったりやらなかったり繰り返していると、第三のやりたいことが浮上してきたりして、ついにすることを選べなくなって思考が停止する。そういうときは気持ちを切り替えるためにコーヒーを飲んだりする。自分のことではあるが、やはりどこか他人事のように自分を眺める。テレビのニュースがなにかの事件を伝えるのを見るときのように、「ああ、なんてことだ。大変だ…」と思ったりする。客観視できることは大事だが、コーヒーを飲んで落ち着いている間にも時間は過ぎていくし、一日は終わっていく。まあ、コーヒーを飲むくらいしかできないときもあるのだ。解決を、時間が過ぎていくのに委ねるしかないときもある。
最近、ようやく、本当にようやく、元の職場のくそったれ上司が夢に出てこなくなり、すっかり忘れてしまっている時間が増えてきている。今までは暇があると、ふと思い出しては怒りと憎しみが湧いてしまい、心が燃えていたが、今はあまりそうした感情は湧かない。どうでもいい。そういう過去もあったなという感じだ。あんなくそったれ上司でも劣悪な労働環境の被害者の一人ではあったのだ。そういう意味では他人事ながら、くそったれ上司も不憫ではある。
現代において、富のトリクルダウンは幻想だが、負のトリクルダウンは実在するのだ。ある社長や首長の加害やハラスメントは最終的に一番末端の社員や職員をひどく痛めつけたり、ときに殺したりするのだ。私は運良く追い詰められる前に逃げられたが、そう逃げられる人ばかりではない。逃げようにも逃げられない人もいる。環境や経済状況がそうさせないことが往々にしてあるのだ。