日記 2025/01/20
天気:晴れ
メンタル:アポリア
短編を一つ書いてボツにした。途中、書きあぐねたときに自分の気持ちを掘り下げるように参照したら、鬱の精神が出てきて主人公も鬱になってしまって生きる希望を諦めかけてしまったからだ。このままだと勝手に死にかねないと思ったので、ドクターストップをかけた。小説の創作指南書やインタビューなんかでキャラが勝手に動き始めるという趣旨のことを小説家が言うことがあるけど、逆にコントロールできてしまうのはまずいのだ。勝手に動き始めるというより、書き手の手綱を離れ、アンコントローラブルになってしまうということなのだと思う。
小説を書く自分がカメラだとすると、現実世界をカメラで撮ったとして、現像された写真=小説は、あくまでナチュラルな説得力があるべきだ。ブランコを撮ったら、写真はブランコを元にしたものかその変奏であるはずで、ブランコは写っておらずメガネが写っていたら意味がわかんない。でも、小説を書く自分のわがままが書いている小説に介入すると、往々にして、ブランコを撮ったのに、メガネやら水たまりやらセーターやら全くべつのものが写ってしまう。場合によっては、何を撮っても現像されたものがメガネばかりということになりうるのだ(私の場合、何を書いても主人公が結局最後に鬱になって生きるのを諦めてしまう)。それは説得力に欠ける。