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11月, 2025の投稿を表示しています

日記 2025/11/29

天気:曇り メンタル:リラックスしている 小川哲『火星の女王』を読み終えた。読む前は小川哲の新作ということで非常に楽しみにしていた。以前読んだ『地図と拳』が非常におもしろかったからだ。だが、結論から言えば、本当に申し訳ないがまったくおもしろくなかった。私は家からはちょっと距離のある大型書店まで出向いてサイン本を手に入れたくらいにはかなり楽しみにしていたのでこの内容には非常に残念です。みなさんもぜひ買うなり図書館で借りるなどしてぜひ読んでみてほしい。そして感想をブログやBlueskyなどで書いてみてください。小川哲氏の次回作に期待したい。 読んだ人がわかればいいのでネタバレというほど仔細には書きませんが以下一応物語後半の内容を含む感想というかぼやき。おもしろくはないので読まなくていいです。『火星の女王』がおもしろくなかったというだけのことです。           地球と火星を舞台にした近未来の物語であるが、物語の世界のリアリティを裏打ちするだけのディテールがまったく不足しているように思う。説得力が感じられない。物語世界の規模自体も地球と火星という巨大な規模を感じられないほどの異常なまでのスケールの小ささである。『地図と拳』のほうがよっぽど物語世界の広さを感じられる。また、SFとしてもディテールが不足している。文章は丁寧で読んでいて理解できるのでなおさら説明不足が感じられた。SFという意味では最近読んだマーサ・ウェルズ『マーダーボット・ダイアリー』のほうが設定としては『火星の女王』よりも格段に突拍子もないのだが、はるかに説得力がある。  リリが「応援団長」になったところであまりの展開に鼻白んでしまった。「大統領」の代わりに「応援団長」ってなんだよ。そのうえ、リリが「ファスターザンライト作戦」を指揮したあたりからおもしろくなさがどんどん増大していった。このあたりから物語を丸く終わらせようという感じがした。非常にがっかりだ。なにが一番悲しいって、『地図と拳』を生み出したあの小川哲が書いた結果がこれだということが悲しい。文章のすみずみまで丁寧に書かれている感じがするにもかかわらず、「この程度なのか…」という衝撃的なつまらなさだ。繰り返すようだけど「応援団長」のくだりはあまりの気恥ずかしさに思わず声に出して嘆いてしまう...

日記 2025/11/26

天気:晴れ メンタル:今日はのんびりである 「いかに無理をしないか」という視点から生きることを(退職してからはとくに)考えてきたけれども、そうではなくて肯定的な言葉で生きることについて語れるようになることも必要ではないかと思うようになった。 未来の自分がこれを読み返したときに極端な解釈をしてほしくはないのだが、誤解を恐れずに言えば、「どんなことだったら無理をしてもいいと思えるか」という視点も必要ではないかと思う。実際に自分に無理を強いるかどうかは別として、そういう視点から物事を見て判断し選択していくというのはひとつの考え方だろう。 最近読んだ西村佳哲著『自分をいかして生きる』では、「生活」と「仕事」が同義として語られるのだが、現代において「仕事」は同義と呼ぶにはあまりに過度である。「働くことは暮らしていくことである」と呼ぶためには、働くことが生活の一部に収まるようでなくてはならない。なぜなら、「働くことだけが暮らしていくことではない」からである。いろいろな要素が混ざり合い生活を作っていくと考えたほうがより自然である。現代社会のような仕事(賃労働と言ってもよい)と仕事に付随する時間(支度や通勤)の二つが一日の大半を占めるあり方は豊かな生活とは言い難いし、実際問題として我々は仕事を原因として心身を害する。仕事を一日中しなくてはならない日があるというのは、それ自体はある程度許容せねばならないとは思う。これは程度の問題である。しかし、そういう日が常習的になってしまうとしたらそれはもはや許容できないだろう。生活とは労働だけのものではない。生活は、様々な家事はもちろん、他人との交流や、趣味、買い物などいろいろなものが複合して営まれていくものであるはずだ。 仕事だけの生活は結局のところ、「なんのために生きているのか」我々をわからなくさせる。決して、健康的で余裕のある生活ができているときの我々が「なんのために生きているのか」を理解できているというわけではない。健康的で余裕のある生活をしていると「なんのために生きているのか」を意識する必要がないのだ。しかし、仕事だけをせざるをえない生活を送っていると、そのうち「生きている意味がない」という形で我々の前に「生きている意味」の「不在」が現れてくる。生きている意味というのはしばしばその不在として頭に浮かぶのだ。 もしあなたが生活の中で「生き...

日記 2025/11/20

天気:晴れ メンタル:丁寧にやる気持ちがある 今日は疲れてぐったりした。午後、疲れてしまって15時から18時まで寝た。その後はまあまあ元気に過ごせていた。 キャラクターを考えるときに名前を考えるのが本当に困る。なんでもいいっちゃいいんだけど、深い意味を付与したいという気持ちもあり、いろいろアイデアを浮かべては没にしている。 『平家物語』(古川日出男訳)を読んでいる。おもしろい。 『自分をいかして生きる』(西村佳哲)を読んでいる。言わんとしていることを理解できているとは思うが、あまりに文章が下手すぎて読んでいて非常にイライラさせられる。大学1年生のレポートみたい。 『遠い太鼓』(村上春樹)を読んでいる。ギリシャとイタリアの滞在記。とてもおもしろい。村上春樹はやはり文章がうまい。個人的にはアメリカ滞在記『やがて哀しき外国語』のほうが好き。  『火星の女王』(小川哲)を読んでいる。読み始めたばかりでまだおもしろさがわからない。 『ストーンサークルの殺人』(M・W・クレイヴン)を読んでいる。ポーのキャラがいい。一気に心を掴まれた。停職の原因は裏があると思う。ティリーもいい。こういうキャラに憧れがある。自分があまりに不器用で要領が悪い人間なので、才能や個性に恵まれたキャラクターにある種のコンプレックスがあるのだろうと思う。

日記 2025/11/10

 天気:曇り メンタル:まあまあリズムができていてよいほう ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』はその99%が気持ち悪かった、という話は以前のブログで書いたが、唯一いいところもあった。それは、役所広司と三浦友和の対話のシーンでの影についてのやりとりだ。重なり合った影は濃くなるか、という話で、「濃くなってますか?」と訊ねる三浦友和に役所広司が「濃くなってますよ。濃くなってなきゃ変ですよ」というシーンだ(ふたりで街灯の下で実際に影を重ねてみる)。あそこだけはよいイメージとして妙に記憶に残っていて、日が経つにつれてもじわじわといいと感じる。役所広司の自分に言い聞かせているという感じがとてもいいのだ。実際に影が濃くなっているどうかは問題ではなくて、重要なのは「そうでなくっちゃ、やってられないですよ」というニュアンスで、その演技がいいのだ。 現実の生活でも「そうでなくてはやってられない」ことというのはいくらでもある。努力が実を結ぶとか、ちょっとくらいは報われたいということがいくらでもある。なぜなら、現実の多くのものごとはそうではないからだ。理不尽極まりないこの世界において、「重なり合った影は濃くなるかどうか」というのはそういう意味で「そうでなくてはやってられない」物事のひとつとしてなんか納得しちゃうのだった。

日記 2025/11/03

天気:晴れ メンタル:ちょっと落ち着いている 体調がよかったのもあって、読書に没頭できた。本1冊に丸一日没頭することができたというのはなんかいい体験だった。 一つのことに一日中没頭できるというのはちょっと自信が持てる。 人生という範囲では後先を考えない振る舞いはよくないけど、ある程度計画を組み立てた生活の中で、その日一日を後先考えずに没入し、とにかく今に集中するというのはとてもいい。 未来を考えずに済むという体験、未来を不安がらなくていい時間帯が一日の中で半日でも作れるととても気持ちよく清々しい。これがまさにマインドフルネスの目指す状態に近いのではないだろうか?  今に没入できていて、その外側には生活の計画がある。 つまり、完全な無軌道な行動ではないが、今この瞬間については自由に脱線が許される。習慣で生活リズムを作りつつ、習慣の行動だけに縛られるのではなく、ある程度の脱線を許していい状態を保持するというのがマインドフルネスって感じなのかもしれないと思った。それでよしとしていいのかはわからない。  

日記 2025/11/01

天気:晴れ メンタル:落ち着いてきたがきつい 資本主義に苦しめられている。 昨日見た『PERFECT DAYS』がいまだにつらい。醜悪だ。 Podcastをやってみようと思っている。数回試してみたい。試しにスマホのレコーダーに自分の声を録音して聞くと、聞き苦しくてとてもいたたまれない気持ちになるが、普段人と話さないからしゃべるのが当然へただしそれは仕方がない。話す練習のためにいいかもしれない。なにも話さないで一日が終わるよりはいいだろうと思う。