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日記 2025/11/10

 天気:曇り メンタル:まあまあリズムができていてよいほう ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』はその99%が気持ち悪かった、という話は以前のブログで書いたが、唯一いいところもあった。それは、役所広司と三浦友和の対話のシーンでの影についてのやりとりだ。重なり合った影は濃くなるか、という話で、「濃くなってますか?」と訊ねる三浦友和に役所広司が「濃くなってますよ。濃くなってなきゃ変ですよ」というシーンだ(ふたりで街灯の下で実際に影を重ねてみる)。あそこだけはよいイメージとして妙に記憶に残っていて、日が経つにつれてもじわじわといいと感じる。役所広司の自分に言い聞かせているという感じがとてもいいのだ。実際に影が濃くなっているどうかは問題ではなくて、重要なのは「そうでなくっちゃ、やってられないですよ」というニュアンスで、その演技がいいのだ。 現実の生活でも「そうでなくてはやってられない」ことというのはいくらでもある。努力が実を結ぶとか、ちょっとくらいは報われたいということがいくらでもある。なぜなら、現実の多くのものごとはそうではないからだ。理不尽極まりないこの世界において、「重なり合った影は濃くなるかどうか」というのはそういう意味で「そうでなくてはやってられない」物事のひとつとしてなんか納得しちゃうのだった。

日記 2025/11/03

天気:晴れ メンタル:ちょっと落ち着いている 体調がよかったのもあって、読書に没頭できた。本1冊に丸一日没頭することができたというのはなんかいい体験だった。 一つのことに一日中没頭できるというのはちょっと自信が持てる。 人生という範囲では後先を考えない振る舞いはよくないけど、ある程度計画を組み立てた生活の中で、その日一日を後先考えずに没入し、とにかく今に集中するというのはとてもいい。 未来を考えずに済むという体験、未来を不安がらなくていい時間帯が一日の中で半日でも作れるととても気持ちよく清々しい。これがまさにマインドフルネスの目指す状態に近いのではないだろうか?  今に没入できていて、その外側には生活の計画がある。 つまり、完全な無軌道な行動ではないが、今この瞬間については自由に脱線が許される。習慣で生活リズムを作りつつ、習慣の行動だけに縛られるのではなく、ある程度の脱線を許していい状態を保持するというのがマインドフルネスって感じなのかもしれないと思った。それでよしとしていいのかはわからない。  

日記 2025/11/01

天気:晴れ メンタル:落ち着いてきたがきつい 資本主義に苦しめられている。 昨日見た『PERFECT DAYS』がいまだにつらい。醜悪だ。 Podcastをやってみようと思っている。数回試してみたい。試しにスマホのレコーダーに自分の声を録音して聞くと、聞き苦しくてとてもいたたまれない気持ちになるが、普段人と話さないからしゃべるのが当然へただしそれは仕方がない。話す練習のためにいいかもしれない。なにも話さないで一日が終わるよりはいいだろうと思う。