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日記 2025/06/25 大雑把にやってみよう。

天気:雨 メンタル:立ち直りかけ ジークアクス最終話を観た。個人的にはよかった。 選択のメカニズムについて考えてみたい。今日は予定が何もなくて暇なのだが、こうして文章を書くことを除いて他のことにあまり手が付けられていない。私の中の「完璧主義」が悪さをしていて、「やるからにはちゃんとやり遂げたい」という意識がうっすらあり、なにかにつけて「完璧」にはできない理由を見出してしまうから行動を選択できないのだと思う。 例えば「楽しまなければならない」という表現は矛盾しているよね。「楽しむ」というのは自発的なものだが、「~しなければならない」というのは自発とは反対のものだ。自発的な行動を自らに強いるというのはいささか奇妙な言い方だが、「せっかくだから楽しまなきゃ」という気持ちはわりあい自然なものだ。そういうシチュエーションはけっこうあると思う。 「やるからには楽しまなくては…」という思考を下支えしているのは「完璧主義」だ。 でも「完璧主義」とは言っても、どこまでも完璧主義なわけではない。ここまで辿り着いたら良しとする自分の中の基準がある。 つまり自分が良しとする見えないボーダーが存在することを認める必要がある。 そして、そのボーダーから意図的に逸脱してみる。 あえて、手を抜く。誤解を怖れずに言えば、雑にやる。大雑把にやってみよう。重要なのは、大雑把にやったらそのままにするということだ。この大雑把にしたままでいるというのは意外と耐えるのがきつそうだと思う。何かしら調整の手を加えたくなってしまうと思う。 今後の目標は、「大雑把にやる」。

日記 2025/06/24

天気:曇り メンタル:やや下降 寝ても寝ても眠い状態。あと、首と肩がこっている。体調が全体的に悪い。ぐったりしている。ちょっとジメッとしているせいかもしれない。エアコンをつけると寒いが、つけないとジメッとしているので、調節が難しい。

日記 2025/06/11

天気:曇り メンタル:微妙(昨日よりはいいけど) 『ジークアクス』10話でマチュ、ニャアンがそれぞれ拳銃を手に入れていますが、それぞれに成長、変化がある(特にマチュはアンキーに一度発砲している)ので、チェーホフの銃的な状況だけど特にマチュは「撃たない」という選択に「撃つ」以上の意味があると思う。マチュ(不殺)とニャアン(殺)で対比だし。しかしシュウジがノイズです。わかりません。この文章はチェーホフの銃が書きたかっただけです。賢しら。   雑談もow2と同じで、リソース(自己開示)を一気に吐いてしまうと、逃げるアビリティや耐えるアビリティがなくなったり、こちらが吐いた分だけ相手も一気に吐かざるをえなくなるので、お互いに苦しくなる。ow2の目的が相手をキルすること(本当は違うけど便宜上)だとしたら、雑談の目的は相手との関係の維持、持続である。 ow2では、相手をキルする上でリソースを吐かざるをえないのだが、なるべく最小限にとどめたい。長引くようならば、潔く逃げる必要がある。そうしなければこちらがキルされる。 雑談では、関係を持続させる上でリソース(この場合は自己開示とか話題を振るとか相槌とか返事を返すということ)を吐かざるをえないのだが、なるべく最小限にとどめたい。相手の下限に合わせるのも大事かもしれない。 お互いにどちらかでもリソースを吐きすぎると関係の持続がきつくなる。なぜなら片方がリソースを一気に吐いてしまうと相手も合わせて一気に吐かざるをえなくなってしまうからだ。実際にリソース吐き合戦に応じるかは別にしても、応答の圧力は働くだろう。一般的にはそういう圧力をかける人(自己開示しすぎる人)は周囲から煙たがられるだろうと思う。 雑談においてリソースを一気に吐くことは相手に心理的負担を負わせることになる。そもそも雑談は、それ自体が心理的負担だ。なので、お互いに心理的負担を最小限にしつつ関係を維持させていきたい。要は、雑談もow2と同じでリソースを小出しにするほうが強い。使いたいときに常にリソースがある状態が保てると気楽。不要なところで無駄にリソースを吐いてしまって本当に使いたいときにリソースがないのはきつい。相手がリソースを吐いたらカウンターするというのも同じ、先仕掛けが強いのも同じ、リソースを一気にすべて吐いてしまうと負けてしまいやすくなるのも同じ(雑談で...

日記 2025/06/07

天気:晴れ メンタル:普通 今日は1月末くらいからちまちまと読んでいた『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』を読み終えた。とてもいい読書体験だった。独特な視点の感動する話だった。子どもの主人公が活躍する楽しさ、爽快さはあるけど、それはそれとして子どもが活躍せざるをえないのは大人たちが不甲斐ないよねという視点が書かれていて、そこに言及されているのは私が読んできたファンタジーでは珍しい気がした。この著者は律儀で真摯で素晴らしいと思った。とてもかっこいい。こうした視点は重要だ。

日記 2025/06/06 他責もしよう。

天気:晴れ メンタル:冷静 私はもともと、なんでもかんでも自責の対象にしてしまうタイプだった。もっと正しく他責もするべきだ。他責もできないと問題にぶつかったときにその問題の構成要素を見誤る。自責の念が強いと「ぜんぶ自分がわるいんだ」と偏った思考をしてしまう。それではなにも解決しない。正しくは他責もするべき。例えば、職場でよくわからないけど上司がイラついているとする。前の私だったら、「きっと私が無能だからだ」と考えた。でも、実際のところ、他人がイラついている理由なんて多種多様だし、その人がその人固有の原因でイライラしているのかもしれない。だとしたら、それはもうアンコントローラブルなもので、私がいくら期待に応えようと仕事を頑張っても、関係がない蓋然性のほうが高い。なので、あるかもわからない理由を考えるのではなく、考えないのがよい。気にしないのがよい。 就労支援は、人生の楽しい廻り道だと捉えている。わりに楽しい。前は働くことに焦ってばかりだったが、遠回りも悪くないのかもしれないと最近思うようになった。  

日記 2025/06/03

天気:雨 メンタル:開き直り 「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」(森山大道) ↑ 私の好きなアーティスト「さよならポニーテール」の楽曲はまさにこれを体現していると思う。 「自分がなぜ自己開示できないのか、したくないのか」について一日考えていたら疲れてしまった。できるかどうかは相手に依るとしか今は言えない。あとはその場のドライブ感でアドリブをするという心構えのほうが気楽だ。

日記 2025/06/02

天気:曇り メンタル:まあまあ 日記をいくらか書いたところで、なんかしょうもないなと思って全部やめた。 小説を書きます。 さようなら。