日記 2025/12/24
天気:雨 メンタル:鬱の感じが薄れて少し元気 最近、目覚まし時計をベッドではなく、デスクに置くようにしてから指定の時間通りに起きられるようになった。今までは目覚まし時計を3つセットしていたけど全てを律儀に無意識に止めて寝ていた。デスクに目覚まし時計を置いておくと否が応でも体を起こして時計を止めるから自然と目覚めるのだった。「なんかめんどうで嫌」という理由で今までデスクに置いてこなかったけど、置いたらとてもよかった。めんどうだからこそよかったのだ。めんどうにしてあるからこそ、機能することってあるよね。 『平家物語』を読み終えて『源氏物語』を読み始めたが、はるかに読みやすい。これは訳文がどうこうというより、固有名詞がはるかに少ないという理由だと思う。場面転換も少ないし。例えるならば『平家物語』 は台風のような文章で、『源氏物語』は小雨がずっと降り続いているような文章だ。『源氏物語』は読み始めたばかりだから、今後印象は変わるかもしれない。 『平家物語』は「平家にあらずは人にあらず」から始まり、「平家は人にあらず」で終わった。頼朝によって平家の血筋はすべて根絶やしにされて子供まで殺される最期は凄惨だった。筆者の目線が平家にも源氏にも肩入れせず、ただ語るという距離感だったからこそ、「この世はただただ虚しい」という感じが強調されていたのかもしれない。個人的には俊寛がよかった。俊寛は清盛に対してクーデターを企てて未遂に終わった一派の一人であり、のちに鬼界ヶ島に流罪にされた3人のうち、京に帰ることの叶わなかった1人。3人のうち2人は刑期の途中で帰るというか、恩赦が与えられ京に帰ることが許されるのだが、俊寛だけは死ぬまで帰ることができず、許されることがなかった。俊寛は恨みつらみを抱えて、悲嘆のうちに自害した。この人物の象徴的な最期は平家物語をいかにも象徴的に示しているように思えるのだった。 あと、平家物語の登場人物たちは、本当によく泣く。「袖を濡らす」とか「はらはら」(と泣く)という表現がことあるごとに出てくる。平家も源氏もメソメソ泣いてばかりである。人を斬られては泣き、人を斬っても泣き。こんなによく泣く物語だったとは思っていなかった。合戦をする話とばかり思っていたが、平家物語においては合戦というのはそれほど多くを占める要素ではなかった。もちろん合戦のシーンはあ...