日記 2025/10/18 黙っていられることも大事。

天気:晴れ
メンタル:よく眠れて疲れは取れたが元気はない。

こんなことを言ったら、自身のブログで発信するという実践と少し矛盾してしまうことになるが、人はもっと黙れるようになるべきだ。うまく話せるようになることの重要性は世の中では縷々説かれているが、黙れることの重要性はあまり問題にされない。人と円滑でうまくコミュニケーションができる能力が社会ではもてはやされているが、それと同じくらい、あえて黙っていることも非常に重要な能力だと私は思う。黙っているというのは相手からのリアクションを辛抱強く待つという要素でもあり、なにかを言いたくなってしまったときにぐっと飲み込んで言わずにやりすごすということでもある。おもらしのようについ言ってしまうということが時にとんでもない大事になるということもある。言葉にするというのは非常に責任を求められるリスキーな行動である。

話は逸れるが、日本という国家においても、内心の自由は保障されている。日本国憲法第19条では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とされている。だからなんだ、という話ではあるのだが、国家という巨大な暴力ですら、個人が何を考え、何を思うかというのは手出しができないのだ。それほどに守られているものが個人と個人の間でも手出しができるわけがない。黙ってさえいれば、話している相手をどれほど嫌いで罵詈雑言を思おうと誰も手出しができない。

しかし、言葉にしてしまうと手出しができてしまう。思っていることを的確に言葉にできるというのは重要なことだが、責任も伴うリスクのある行動である。Twitter(現X)で誹謗中傷コメントをして、開示請求されて賠償金を払った人は定期的に見られる。それってつまりコメントしなければよかっただけの話ではないですか? 多くの場合、不特定多数に向けて発信したポストに対して、誰ともわからない個人が誹謗中傷をする。こうした黙ってさえいれば面倒事に自ら巻き込まれなかったのに、ということが現実ではとても多い。

みんなも黙れるようになろう。元から黙れている人はそれを続けよう。黙れることで得をするということはそうないけれども、黙らなかったことで本来ならば避けられていたはずの面倒事に自ら巻き込まれてしまうことは往々にして起こり得るのだ。

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