日記 2025/10/15 ささいな好き、ささいな良い

天気:曇り
メンタル:やや回復してわりとニュートラル

仕事について考えて文章を書いたり、本を読んだりしている。

「なぜ私はこんなにも働くことが怖いのか?」 

私は無職になる前は肉体労働をしていたので、大学に安定したの籍のある研究者、知識人、文化人、文筆家、なんでもいいけどそういった人々が労働について一席ぶっている記事を読んだりすると、ときどき無性にムカつく。特に若者が働けない原因や働かない原因を当人のマインドセットに求めているものなどを読むと上から目線で偉そうだなと思う。文章を書くなんてこんなに楽ちんなこと(この場合は肉体的に楽だということ。つまり、座ってキーボードを打っていても、息切れしたり、ドロドロに汗をかいたり、真っ黒に日焼けしたりしないでしょ)がその筆者にとっては「労働」なのだと思うと、私がしていた「これ」はいったいなんだったんだと思う。しいていえば「罰」じゃないだろうか。

私が今無職で働けておらず、早く仕事を探さなくてはと思いつつも全然本腰を入れられず、「嫌だな~」と先延ばしにして働く気にならないのは、前職での労働が生活のすべてをまるっと労働に置き換える経験だったからである。もし再就職できたとしても、結局のところ同じようなことになるのであれば、それこそ生きている意味などないと思う。そこには、生活はなかった。そもそも家事すらする暇も体力も残らなかった。当然余暇の時間もなければ、体力も残らなかった。人と交流などできなかった。とにかく仕事をするか、仕事のために準備するかだけの生活であった。人間関係は会社のみ、友人はおらず独り。会社の人間関係もいつモラハラ上司に陰口を叩かれるかわからず、誰かが告げ口するかもしれず誰も信用ができないので常に恐怖と隣り合わせ。モラハラ上司におびえて誰にも何も話せないし話したくない。その極度の緊張状態の中で朝から晩まで日差しの下で肉体労働をする。それが生きることのすべてになる。文字通りそれだけの生活である。働くだけしかできず常に極度の疲労状態で、疲れが取れない生活にあなたは耐えられますか? 現に耐えているんだという人もおられるとは思いますが。

そういうことにまたなってしまうことを私はとても恐れているのである。だから、自分にとっての人生における楽しいこととか、世界で良いと思うポイントだとか、ささいなことを集めているのである。メモしているのである。そういうものを書き留めて忘れないでためておくことで、うっかり生きていたくないというネガティブな精神状態に陥った時に、浮上しやすくなるために。そして、働くにあたってもそういった「こういうものが好き、良いというポイント」を持っておくことは重要だと思っている。働くのがきつくなったとしてもそれを思い返せれば、生活に無理をしないですむかもしれない。人生のバランスを保てるかもしれない。少なくともそういうものを持たない暮らしよりはましだろうと思う。

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