日記 2025/04/07
天気:晴れ
メンタル:ティルト
オーバーウォッチ2を最近プレイしていたが、勝ち方が見えない負け方で負けてばかりでどうしたら勝てるようになるのかわからず精神状態がティルト(落ち込んで膠着状態になり雑なプレイをしてしまうこと)しているのでしばらく放置したい気分。
4月の100分de名著が『ねじまき鳥クロニクル』を取り上げるので楽しみ。
自分の欲望がないと感じる。「ない」、というよりは「欲望がなにか?」に自分で気づくのにとても時間がかかるため、その場では気づけずに、欲望がないように感じてしまうというのが近い。とても漠然とした話になるけどなにかをするとして、自分がこうしたいと思うことをするぞという感覚が割合薄くて、その場においての最適解は何かを優先的に考える感じ。結果的に自我のないその場しのぎ人間になっている。でもそういう自我のないその場しのぎというのは積み重なってくるとそのつまらなさがキツくなってくるんだよね。
つまり、ある程度はその場での最適解を求めつつも、ある程度は自分のやりたいことを押し付けていくような動き(最適解から遠ざかるとしても)もしていかないとおもしろくないのかもしれない。結局のところ、やりたいことをやろうと試みているときが(たとえそれがうまくいかなくとも)一番楽しいわけだから。
自分の欲望に気づきにくく、「自分の考えるその場での最適解」を優先しがちの例としてこんなものがある。
例えばだが、自分の所属するコミュニティのイベントで定員10名のイベントがあって自分を含め8名くらい集まったところで、開催直前に残り2名必要というところに3名応募が来てしまって11名集まったとする。こんなときに、「自分が一人抜ければ、最後に来た11人目があぶれずに済むよなあ」と思ってしまって、結局「すみません。体調が悪いため欠席させてください」とメッセージを送って、11人目を参加させるというエゴを働いてしまう。自分の主観だと11人目が不憫なので無視するわけにいかなくなってしまうのだ。これが12人集まっていたら、自分一人が抜けても丸く解決しない問題だが、11人だと自分一人が抜ければ丸く解決できてしまい気持ちよくなれるので、抜けてしまう。そして、後から「うわ~、やっぱめっちゃ参加したかったな~」という気持ちが出てきてちょっと傷つくし後悔する。でも、自分が抜けなくてももしかしたらちょっと傷ついていたかもしれないとも思うのだった。ままならない。