日記 2025/02/11
天気:晴れ
メンタル:どん底
ノルマでいろいろをこなしていく生活に限界が来た。うつ状態が強くなり、生きる気持ちがなくなっていっている。消し飛んでいく。
「〇〇をしたい」と思ったときに、「それをしてなんになるんだ?」「それで、なんの意味があるんだ?」というツッコミを自分にしてしまう。私はそのツッコミに言い返せなくて、結果的になにもできなくなってしまう。今すぐ死ぬ理由はないが、生きる意味もわからない。ツッコミは「生きてどうするんだ?」「生きたところでいったいなんになる?」とツッコんでくる。私は「確かにそうかもしれない」と思ってしまった時点で敗北している。そんな今日みたいな日は、一日なにもできず、とにかくひたすら寝ている。ダラダラとスマホを見るでもない。本当に寝ている。心はフル稼働していて、いつかどこかの記憶を反芻していて、もっとうまく行動できたんじゃないか、とか、本当はどうすればよかったか、とか、考えている。数時間が経って起きる。トイレに行きたくて体を起こそうとするが、体を起こせない。どうしても体が動かない。とても重い。身体に意志を気取られてはいけない。それとなく、動く気もない。“にもかかわらず”、起き上がる。この、“にもかかわらず”という文脈に鍵が、ヒントがあると思う。とくに強くしたいと思っているわけではない。にもかかわらず、ふいにしてしまう。そんな感じ。「やるぞ!」と意気込むと一切体が動かない。にもかかわらず、する。そこに意志はなく、意気込みはない。
というわけで今日は何もしなかった。日中もずっと眠っていた。ごく短い起きていた間もずっと虚無の気持ちに覆いつくされてしまって、なんにも意味なんかない。することはない、と心が落ち込んでばかりいた。でも、死ぬべきは私ではないし、変わるべきは政治だと思うんですよ。あるいは、社会に蔓延しているよくない常識とか、風潮とか。決して私ではない。安易に自省してはいけない、と最近思うようになった。なにかトラブったとき、考えが合わなかったとき、間違えたのは自分かもしれないけど、当然自分ではないかもしれない。それを吟味せずにすべて自分が間違えていたことにして反省してしまうと自分がなくなってしまう。切り崩すべきでない部分を切断しないほうがいい。慎重に考えるべきだ。