日記 2025/1/15
天気:晴れ
メンタル:ロシア短編小説
昨日と今日でトルストイの短編「主人と下男」を読んだ。解説も読んだ。結末はおもしろくはあるが問題はそこではない。私としては道に迷っているさなかが一番おもしろかった。話としては、クズ野郎がクズのまま、人を救う話だった。わかりやすくまとめると、『呪術廻戦』で日下部が簡易領域の範囲を拡張して領域内に宿儺を引き入れるというのと同じ話だ。やっていることは同じ。斬る代わりに救っているという違いはあるにせよ。
にしても、ソーンダーズ先生のチョイスがそうだからなのか、どの短編も暗い話ばかりだ。チェーホフの「荷馬車で」はとくに暗すぎると思った。こういう暗さは、人生はどん詰まりだ、という気分にさせる。読むのがきつかったし、読み終えてからもきつかった。あまりにきつすぎて、自分の気持ちが落ち込みかけた。鬱になりかけた。これを読んで、なにかプラスの気持ちが生まれうる人もいるのだろうか。生まれうるのだろう。ぜひ感想を聞いてみたい。私はあまり好きではない。私はもういい。お腹いっぱい。一度でいい。
次の仕事を、と考えるとうつ状態に引きずり込まれそうになるので、ちょっとは考えるが、考えすぎないようにしている。考えすぎると、もうこれ以上生きていても仕方がない、もう死ぬしかない、になってしまうため。1日8時間、週5日が最低ラインというのがきつすぎる。1日4時間、週3日でなんとかならないですか。労働と税金は生存に対する罰、ペナルティという側面が現状の社会では強すぎる。生まれたことと生きていることは罪で、その罰として労働と税金で生涯をかけて生まれ生きていることを贖うのだ。私の骨と血と肉がロシア短編小説でできていたら、安酒を飲みまくることで現実逃避しているところだが、いまのところ、私はロシア短編小説ではないので、安酒を飲みまくらない。そのうち、骨の芯まで冷え切ってしまい、いっそロシア短編小説になったら、安酒を飲みまくってしまうかもしれないね。