自己否定をやめる100日、42日目 2025/1/4
天気:晴れ
メンタル:元気
読書が捗ったのでよかった。小説を読んでいるときに文章が描写するものを必ずしも五感に変換して読んでいるわけではなさそうだと感じる。いちいち小説のワンシーンの絵と音、匂いなどを想像しているわけではない。文字列からなる単語の意味をそのまま受け取っている感じがする。そうでなければ、読むスピードに説明がつかない。
フィクションのいいところは自由であるところであり、それは常識、道徳、善なるものを逸脱していても(フィクション内では)別によいということだ。
残虐だったり、卑猥だったり、到底口にするのも憚られることも想像することは罪ではなく、罰されたりもしない。公にしなければよいのだ。自分自身の想像力にも救いがある。空想の潜在能力(ポテンシャル)はまだまだ自分自身にも未知である。
想像力を働かせることを頑張ってみるか。自分のような「社会(と一般に呼ばれているもの)」の役に立たない人間が、生きるのをすべて諦めてしまわない理由にはなる。
最近、自分にとっての図書館のイメージがあり、それは高校の図書室の姿をしているのだった。なぜ高校の図書室を思い出すのかわからない。高校生の頃それほど熱心に行ったわけでもないし。でも自分にとって特別な図書館は“あの”図書室で、普段、通っている地元の図書館ではないのだった。